カテゴリ:山梨歴史文学館作成資料
穴山梅雪の死 『塩尻』記事
天正十年六月、織田信長御時有し時(本能寺の変)、穴山梅雪、泉州堺に在りしに驚き、東国へ帰らんとする折から、牧方より河内路を経て山城国普賢寺谷という所を通りける。その従者ら導者らを斬り殺し、彼が帯びせし銀鐔(つば)を奪い取りける、然るに土民等は放棄して、梅雪を草内村の西にて殺しけり。
京都本能寺は最初西洞院に在りしかば、今の寺院は茶屋中島氏が宅地也氏、本能寺の変の後に移し建てるという。
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最終更新日
2021年04月18日 12時38分22秒
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