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山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

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2019年05月17日
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カテゴリ:山口素堂資料室

百人一首雑談 戸田茂睡著 

 

此百首は、定家郷小倉の山荘の障子におされたる色紙の歌必定也、頓阿の説には

障子の色紙の歌百枚には不限、それよりおほかりつると書しるせるもの有だぞ、作者なしにただ歌ばかりかかれたるを、為家の作者をつけ、次第をもめされたる。

といへり、此説ちと無覚束、

此百首に、細川支旨法印藤孝の抄とて、上中下三巻の書あり、是は玄旨法師の名をかりて、其比の連歌師其の書たる抄也、此仔細は、玄旨法印死給ひて後、連歌師共百人一首に註のある本は何方にも無之也、玄旨はなされをかすやと尋たる時、抄を被成かけたる書有、疑しきをあらためて書付給ふべきどにや、所々に註を書付給ふ本を尋求て、それを本にして私の抄を書加へ、永々敷序を書て玄旨の御作とて出したる也、是は近き世の事なれば皆人しりたる事也、一部せぬ抄物に、序を書給ふべき事にあらざれば、連歌師の作必定せり、さる故にあやまり多し、此百首は定家卿の秀歌をえらまれ、秘説相伝の歌どもなりとご云て講釈をして、師弟の契約の中だちにせんどせしゆへ、

此百首は新古今をおすべきため、新勅撰の前にえらまれ、然故此百人一首と新勅撰は、

二條家の歌の脳髄骨肉也

と書かれり、是諸人に深く思はせんための僻言也、秀歌大略は、まことに秀歌を撰せられし故、三部抄のうちに入れり、此百首は、色紙にかゝれて障子におされたる迄の事也、斯様の事は誰が上にもある事なれば、同じ心也、亦考見るに、此百首の歌のうち、大方本歌にとりて定家郷の読み給ふ歌あれば、詞か心か何とぞ思ひより給ふ所ありて、新歌をよりべきの心覚えに書付てをかれたる事もあるべし、

右の序に、

定家郷は父竣成の喪によりて、新古今に手傳給ばぬゆへ、撰集花ばかりにして實少く、

定家卿の心に叶はざる故、此百首を撰せらるゝ

とあり、竣成卿は元久元子の歳霜月晦日に死去也、新古今奏覧は、明る丑の年三月廿六日也、わづか百十余日なれば、竣成卿死去前に新古今撰集はきはまりたる成べし。

 

叡覧にそなふ撰集清書すればとて、廿巻の新古今なれば、百十余日はかゝるべきにや、竣成卿長病にて、看病にかゝり手傳はぬといはば、さもあるべきにや喪に引込給ふと云はたしかならす、

此百首秀歌をえらまれ、二條家の歌の髪詣にて、後代の手本にそなへんと、定家卿のおもひ給ふならば、墨次もつとも仮名づかひまで吟味ありて、少も書違古注なぐかゝるべき事なるに、父竣成卿の

  世の中よ雅こそなけれ思ひ入

の歌に、

  山の中にも鹿ぞなくなる

とかゝれたり、今京都に住居する灰屋の浮壷と云者、此色紙を所持せり、「世の中よ」と上の五文字にあるに、山の中とはあるべき事にもなし、千載集にも「山の奥とこそあれ」、源俊頼の

うかりける人を初瀬

の歌には、

山おろしよ

と有、「よ」の字を書入られたり、これにて歌がらも美しく、歌拍子もよければ、尤もの事也、山の中といひては、詞つづきも歌もあしく聞れば、直してかゝれたり共おもはれざれば、書違必定也、我家に相傳して骨肉とある歌、殊に障子にはりつけて常にみらるゝ事なれば、書違給ひても書なをさるべき事也、左様のわけならぬ故、其通りにさしをかれたるなるべし、

 

或人の云、秀歌をえらまれざるど云証拠は、いか程もあるべし、先人丸の歌には

ほのぼのとあかしの浦

業平の歌には

月やあらぬ春やむかし

貫之の歌には

さくら散る木の下風

是を上代より名歌といひて、右三谷の上の五文字をば、今より歌の五文字にさへ延慮する事なり、然るに此歌ども不入して

あし引の山鳥の尾

千早振神代」

人はいざ心もしらす

の歌入れゝり、若またたからとのわけありといはば、實は實なり手柄は花なり、然らば實を捨て花を用られしは、新古今をおすべきためといふ詞にたがへり、此外勅によりて古今集の内十首の秀歌を抜て、叡賢にそなへられし歌のうち、此百首にもれたるあり、秀歌といひても、此百首の歌を、少も歌のよしあし聞しりたる人は、秀歌ともおもはれすと疑ひも出来て、位浅かるべしと連歌師も心得、定家卿の此百首の中へ、さもなき歌をも入られたるは、常意即妙の心がけを感じて入られたると云、かしこき手立なり、歌をよくよむ事こそかなはね、聞てよしあしは誰もしるもの也、此百首のうち常意即妙の歌にもあらす、題を以てよみたる歌に何の節もなぐ、他歌のやう成もあれば、秀歌撰びたる事とはおもはれずといふ人あり。

 

定家郷死給ひてで後、為家卿此色紙の歌一冊に写しあつめ、名付いだされたれども、其頃隨分の歌読衆の中にも、此百首にもれ給ふ故、人のうらみをおもひ、秘して出されざると云説あり、是又うたがはしき説なり、此作者の次第を考ふるに、部位を以て先にしるさば、天智天皇、持統天皇とありて、陽成院、光孝天皇と次第すべきを、人丸・赤人・猿丸とあり、しかれば部位にはよらざるか、時代を以て上古を先に書付給ふかとおもへば、是又さもなし、人丸赤人よりはじめて、時代のたしかにしられざるをばさし置ぬ、大僧正行尊は三條院四代の孫にて、白河院、鳥羽院の護持の僧といへるに、三條院より前にあり、源兼昌は堀川院次郎百首の作者成に、崇徳院より末にあり、鎌倉の右大臣は建久三年に誕生あるに、千載集の作者前にあり、是をおもへば時代にもよらざる也、又四季の歌を以て作者の次第を定たるかとおもへば、秋の田より更衣になり、戀になり冬なり又秋の歌あり、是をおもへば作者の次第も混乱したる事也、

又云、此百首を為家卿秘して置れたれども、聞及たる人ほしくおもひ、蟲干などに出されたる時、そっと一覧し、百首寫しとるべきあいだなければ、天智天皇、秋の田の、持続天皇春過てと書取て、宿へ帰りて後下の句を書き続けたるゆへ、河原左大臣の歌に、伊勢物語の歌を書き入れたりと云説あり、是はさもあるべきにや、忍ぶもぢすりの色紙を見ざれば、「みだれそめにし」とあるも、「亂れんと思ふ」とあるもしらす、もし亂れそめにしど書給ふとても、伊勢もの語の歌とも、有常が娘とも、作者はつけにくかるべければ、河原左大臣ども為家の書付けられたる事もおるべきにや、

人をはつせの山をろしよ

のよ文字は、定家の色紙今の世までもあれば、それをみて付たる成べし

山の中にも鹿ぞなぐなる

色紙の外、一字の相違などある歌もあれども、それは「いづこ」「いづぐ」などの類にて同じ事なれば、なをさぬもあるかなり、

 

○百人一首

此四字あらはに吟すべからす、一の字を人の字に含みて、しかと聞えぬやうに吟すべし、





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最終更新日  2021年04月18日 05時47分03秒
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