カテゴリ:山梨県の著名人
山梨県郷土史に輝く人々 三枝七内
青少年のための山梨県民会議編 第9集 一部加筆内 略歴 天保八年六月二十五日、巨摩郡野牛島村(今の八田村野牛島)に生れた。 三枝家は武田の武将で知られる三校勘解由(守友)の一族である。武田滅亡後家康に仕え、勘解由の甥守時に駿河大納言忠長の御小姓を勤めていたが、寛永十年忠長がなくなり、御家断絶したため浪人となり野牛島に来て居住するようになったという家柄である。 三枝七内は少年時代江戸に遊学して、平田篤胤の門に学んだ。若くして戸長・区長などの公職につき、明治新政府の地租改正などにつくした。 明治十年山梨県初の県会に区長議員として臨み、十一年「郡区町村編成法」判定とともに初代中巨摩郡長に任用されて、その手腕を発揮した。 郡長退職後、明治十五年野口英夫らと立憲保守党を結成、十五年二月より二十四年十月まで五回県会議員に当選し、常置委員の要職にあって県政の中枢として官民の間にたち、県政の発展、民力の涵養につとめた。その間二十三年、二十四年と二回県会議長となる。 明治三十二年釜無川治水、農林業の改良発展に貢献した功績者として藍綬褒章を授けられた。 著者 清水小太郎氏
略歴
住所 中巨摩郡八田村上高砂。
元県立峡南高校・谷村工業高校長。山梨県教育百年史編纂委員
八田村文化財審議委員会委員長。山梨地理学会長・山梨郷土研究会理事。
高野孫友衛門
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最終更新日
2021年04月18日 04時48分20秒
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