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2019年05月21日
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カテゴリ:古代史料
国司等に発せられた令 孝謙天皇~
詔(みことのり)にみる国司の仕事
  詔(みことのり)・他(『続日本紀』)宇治谷孟氏-現代語訳

4、 孝謙天皇

天平勝宝 六年( 754) 九月 十五日 《出挙稲の利潤》
   諸国の国司らは、田租や出挙稲の利潤を貪り求めるので、租の輸納は正しく行なわ
   れず、出挙した利稲の取り立てに偽りが多い。
   このため人民はだんだん苦しみが増し、正倉は大変空しくなっていると聞く。
   そこで京および諸国の田租を、得不を論ぜず(不三得七の法にかかわらず)すべて
   正倉に輸納させることとし、正税出挙の利稲は、十の中三を取ることを許す。
   ただし田の作物が熟さず、調・庸を免除する限度になった場合は(欠損八分以上の
   場合)令に准拠して処分せよ。
   また去る天平八年の格(きゃく)を見ると、国司が国内において交易し、無制限に物を運ぶことは既に禁止されている。
   ところがなお敢えてこの格に従わず、利を貪って心をけがすことが珍しくなくなっ
   ている。
   朕の手足となるべき者が、どうしてこのようであってよかろうか。今後、更に違反
   する者があれば、法に従って処罰し、哀れみをかけて許してはならない。
   
賭博行為の禁止 
天平勝宝 六年( 754) 十月 十四日 《双六の禁止》
   この頃、官人や人民が憲法(国法)を恐れず、ひそかに仲間を集め、意のままに双
   六(すごろく)を行ない、悪の道に迷い込み、子は父に従わなくなっている。これで
はついに家業を失い、また孝道に欠けるであろう。このため広く京および畿内と七道の諸国に命じて、固く双六を禁断せよ。云々

天平勝宝 六年( 754) 十月 十八日 《射芸教習》
   畿内と七道諸国に命令して射田(射芸教習のための用地)を設けさせた。

天平勝宝 八年( 756) 六月 十日 《国分寺》
   この頃、技術者を各地に遣わして、諸国の国分寺の造仏を促し調べさせた。来年の
   聖武帝の一周忌には、必ず仕上げるようにせよ。その仏殿も一緒に造り上げるよう
   にせよ。もし仏像および仏殿を、既に造り終えたならば、また塔を造り忌日に間に
   合わせよ。
   仏法は慈しみを第一とする。このために人民を苦しめてはならぬ。国志や派遣の技
   術者が、もし朕の意にかなうよう、よく仕上げた者があれば、特に褒賞を与える。

天平勝宝 八年( 756) 六月二十二日 《国忌の斎会》
   明年の国忌のご斎会は、正に東大寺で行なうことになる。その大仏殿の歩廓は六道
   諸国に命じ造営させ、必ず忌日に間に合わせよ。怠りゆるがせにすることがあった
   はならぬ。

天平勝宝 八年( 756)十一月 七日 《官物の搾取》
   聞くところによると、この頃、を出納する諸司の官人たちは、官物が納入される時、
   上前をはねようと、巧みに留めおいて、十日経ってもあえて官物を収納しようとし
   ないという。このために運送の人夫たちは、その足止めに苦しみ、競って逃げ帰る
   と聞く。
   これはただ政治を損なうだけでなく、実に人民の教化を妨げるものである。正に弾
   正台に命じて巡検させねばならぬ。今後、二度とこのようなことがあってはならな
   い。

天平宝字 元年( 757) 正月 五日 《郡領 軍毅》
   この頃、郡領(郡の大領・少領)・軍毅(軍団の大毅・少毅)に、無位の庶民を採
   用している。このため、人民は家に居ながら、官職につくことを当然とし、君に仕
   え働いて俸禄を得ることを知らない。これでは親に孝をつくすのと同じように、君
   主に忠を尽くすという気持ちは次第に衰え、人を教え導くことがむづかしい。今後、
   所司はよろしく有位の人以外は郡領。軍毅の選考の候補に入れてはならぬ。
   その軍毅には兵部省が六衛府に仕える者の中から、わきまえが勝れ人柄大きく、勇
   ましく健全な者を選んで候補として任用し、その他の者にみだりに任用を求めさせ
   てはならぬ。それ以外の諸事については、格や令の規定によれ。

天平宝字 元年( 757) 五月 八日 《駅舎の利用制限》
   この頃、駅路を上り下りする諸使にすべて駅舎を利用させているのは、理にかなっ
   てはいない。これでは駅の人夫に苦労をかけることになる。今後は令の規定に
   従うようにせよ。


天平宝字 元年( 757) 六月 九日 《反仲麻呂派の不穏な動きへの牽制》   天皇は次のように五条を制定し申しわたした。
   その一 諸氏族の氏の上らは、公用をすておいて勝手に自分の氏族の人たちを集め
   ている。今後、このようなことがあってはならない。

   その二 王族や臣下の所有する馬の数は、格により制限がある。この制限以上に馬
   を飼ってはならない。

   その三 令の定めによれば、所持する武器については限度のきまりがある。この規
   定以上に武器を蓄えてはならぬ。

   その四 武官を除いては、宮中で武器を持ってはならない。

   その五 宮中を二十騎以上の集団で行動してはならない。

天平宝字 元年( 757) 十月 六日 《諸国人夫の悲惨な状況》
   聞くところによると、諸国からの調・庸を運ぶ人夫は、仕事を終わって帰郷する際、
   遠路のために食料が絶えてしまう、と。また旅先で病気になった人には、親しく世
   話をしてくれる人がいないので、餓死を免れるために物乞いをしてやっと命をつな
   いでいる、と。
   どちらの場合も旅の道中に苦しみ、ついに横死してしまう、と。朕はこのことを思
   いやって、哀れみに心を禁じえない。
   そこで、京都と諸国の官司に命じて、食料と医薬を量り与え、よく調べて無事に郷
   里に着けるようにせよ。もし官人が怠けて、この命令を実行しない者があったら、
   違約の罪を科することにする。

天平宝字 二年( 758) 十月二十五日 《国司の任期の短縮》
   (略)国司の任期を四年から六年にする。三年を経過する毎に巡察使を派遣し、治
   績を調査し、人民の苦しみを慰問させよ。二回の巡察の結果を見て、実情に随って
   官位の昇降をきめよ。願わくば国司の貪欲な気風を一掃して、ことごとく清新な気   風に改め、人民の負担を緩和し、しかも倉庫は充満している状態を希望する。

天平宝字 三年( 759) 五月 十七日 《人夫の救済》
   (略)この頃、冬の季節になると、市のあたりに餓えている者が多いと聞く。その
   わけを問い質すと、皆諸国から調を運んできた人夫で、郷里に還ることができなく
   て、ある者は病のために悩み苦しみ、ある者は食糧がなくて飢えと寒さに苦しんで
   いるという。
   朕はひそかに彼らのことを思い、深く心に哀れんでいる。そこで国の大小によって、
   公廨稲から一定量を採り出して、常平倉を設け、米の時価の高低によって、売り買
   いを行ない利益を収め、還ろうとする人夫の飢えと苦しみをあまねく救うようにせ
   よ。(略)

天平宝字 三年( 759)十一月 九日 《国分寺と国分尼寺の図面》
   (略)国分寺と国分尼寺の図面を天下の諸国に頒(わか)ち下した。

天平宝字 五年( 761) 六月 七日 《国分尼寺》
   光明皇太后の一周忌の斎家を阿弥陀浄土院で設けた。その院は法華寺の西南隅にあ
   り、皇太后の一周忌の斎家を行なうために造営したものである。
   一方天下の諸国に命じて、それぞれの国分尼寺で、阿弥陀仏の丈六の像一體、脇侍
   の菩薩像二體を造らせた。





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最終更新日  2021年04月17日 15時27分27秒
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