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山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

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2019年05月22日
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「白州・尾白川」日本名水百選に指定される。(その経緯「白州町誌」昭和61年より)



尾白川は、駒ケ岳に源を発し、釜無川に合流する。尾白川の由来は、古来白州の山中に白黒で尾が白い神馬が住み、その霊験は白黒(善悪)を明らかにし、人界を律すると伝えられてきた。その神馬が住む霊境を源とする川であることから尾白川と呼ばれている。

この川は古くから駒ヶ岳の山岳神道との結びつきから住民との係わり合いが強い。すなわち「尾白の水」は霊水として尊び、山に入る時の身心の清めとし、また下流への配慮として常に流末まで清い水を保つ「尾白思想」を生活の信条としてきた。また本地域の住民は、古くから尾白の水を生活文化、産業などに生かし、誇りと愛着をもって利用し、親しんできた。

本町では、地域のシソボルである美しい緑と清列な水の流れを次代に引き継ぐため「白然と緑の会」を発足させ、「自然と緑の感謝祭」等の各種行事を行なっている。保全活動として地域住民は、毎月の第三日曜日の早朝「住民一斉清掃日」と定め、「空きかん等散乱防止に関する条例」を制定し、河川の保護に努めている。

この尾白川が昭和六十年四月五日、日本名水百選に指定されたのである。環境庁が日本名水百選を指定した目的は、「全国に多くの形態で存在する清澄な水について、その再発見に努め、広く国民にそれらを紹介し、啓蒙普及を図るとともに、このことを通じて国民の水質保全への意識を深め、併せて優良な水環境を積極的に保護すること等、今後の水質保全行政に資する」ことである。「名水百選調査」に当っては、環境庁が都道府県から候補となるものの報告(合計七八四件)を受け、その中から判定条件に適合するものを「名水百選調査検討会」での検討を経て選定した。

その選定の条件は

(イ)水質、水量、周辺環境(景観)、親水性の観点からみて保全状況が良好なこと。

(ロ)地域住民等による保全活動があること。

を必須条件として、河川については、対象水域の水質が良好であり、水に係わる故事来歴や特別な行事等を有するなどの特徴があり、水質保全活動が優れていることなどを加えている。

名水百選調査は、環境庁水質保全局水質規制課が主体となって行ない、その調査検討委員は、伊藤和明(NHK解説委員)、宇野佐(国民休暇村協会常務理事)・榧根勇(筑波大学教授・

地球科学系)、合田健(国立公害研究所水質土壌環境部長)、高橋裕(東京大学教授.工学部土木工学科)、富山和子(評論家)、西川治(東京大学教授.教養学部教養学科)、森下郁子(淡水生物研究所所長)、八木正一(岡山大学教授・農業生物研究所)である。

これらの調査検討委員と、環境庁水質保全局長、同水質規制課長及び担当官等十四~五名が、昭和六十年四月五日来町して、尾白川の調査をなし、検討委員会で検討の結果、日本名水百選に指定されたのである。

このとき山梨県内では、「八ケ岳南麓高原湧水郡」(長坂、小渕町にまたがる三分一湧水、女取湧水、大滝湧水)と「忍野八海」(南都留郡忍野村)、白州.尾白川の三件が指定されたのである。前二件はいずれも八ケ岳や宮士山の伏流湧水であるので、河川として指定されたのは白州.尾白川のみである。〈清水小太郎氏著〉



白州の気侯概況(「白州町誌」昭和61年より)



自然界の大気現象を気象といっている。此の雨とたり風とたる現象を数字に表わして、三十年、五十年、百年とたがい時問を経過した多数量について観察すると、ほぼ一定した変化を知ることができる。大気中に生活する人問はその変化の状態を研究し、予測して、生活上最善の方法を考えなければならない。

甲府測候所は(明治二十七年(一八九四年)八月一日に開設され今日の甲府地方気象台となり、長年にわたって調査され観測が続けられている。本郡内にも若神子、韮崎、菅原、増富に観測所がある。菅原観測所は現在の白州小学校北緯三十五度四十八分、束経二二八度二〇分標高六〇五メートルにある。

《1月》

一月は厳寒期で月の半ばに一年中の最低温があらわ年間気候変化れ、海岸地方の最低温が二月初旬に現われるのとくらべて、内陸的気侯の特長である。北西の季節風は強く、空気は極度に乾燥し、八ケ岳おろし、あるいは甲州のからっ風と呼ばれ名物の一つにかぞえられている。晴天が多く、山岳方面では雪が多いが北陸地方の比ではなく、低地部ではいたって少なく、したがって山頂附近は別として村落、農耕地には根雪の現象は見られない。

《2月》

二月初めのうちはまだ地面は凍結し霜も氷も厚いが、月半ばともなれば春のきざしがおとずれ盆地には梅が香り、ひばりのさえずりも聞えてくる。一年中で最も晴天の多い月で降雨量は少なく、からっ風で乾燥する。

《3月》

三月は富士、南アルプス連峰、八ケ岳などはまだ雪におおわれ、春はおとずれず冬の気がただよい、からっ風は時々猛烈で乾燥がはなはだしい。

《4月》

四月は北西季節風が衰えて、南のそよ風がこれにかわり、春霞たちこめて花曇が多く、山頂の雪も目と共に少なくなり入山者が多くなり、山火事は一年中でもっとも多い時となる。月未頃は、時に最高気温三〇度になることもある反面、時に移動性高気圧の東進につれ寒波が襲来し、極端な低温となり、ようやく発芽した桑やじゃがいも、果樹類に凍害をうけることもあり、一年中で気温の較差が最も大きく、甲府では雪の降ったこともある。

《5月》

五月は平均気温一五-六度、湿度六〇%前後で、暑からず寒からず、いわゆる五月晴れが多い。しかし月初めはまだ分れ霜の季節で最低気温は氷点下に下り、晩霜被害も油断がならない。ことに本町地域は晩霜のもっとも危険なころである。気温の上昇のため作物の生育は盛んになるが、雨量は少なく一〇〇ミリ前後しかないため、時に日照続きによる干害も起る。月半ばすぎには雷もしばしば起り、降ひょう(雹)を伴ない被害をもたらすのもこの月である。富士山を除く山岳の雪は消え、山は緑を

もっておおわれてくる。

《6月》

六月の平均気温は一六度ぐらいを示し、最高気温は三〇度を越える日も現われる。上旬は割合天気はよいが中旬には梅雨現象となり、連日降るや降らずの陰うつな天気となる。げし(夏至)を中に昼時間の最長にもかかわらず、日照時数はわずか一八○時問にも達せず、九月十月につぐ寡照期であり、雨量はぐっと増し北部の寡雨地区でも一五〇ミリに達する。九月の台風季に次ぐ顕著な雨期となる、このため時には昭和十三年、同二十三年のような豪雨が現われ、非常な災害を起すこともあり、また逆にいわゆる「からつゆ」となって干害をよび、昭和十九年、同二十二年のごときは月量五〇ミリにも達しなかった。

《7月》

七月の前半はまだ梅雨期問で平均気温は二十五度以下であるが、七月十四日には梅雨明けとなり気温は急昇し、平均二五度を越え炎暑きびしく、殊に多湿のため堪え難く、甲府では昭和二十一年七月十六日に最高気温三十九度に達し、創立以来の記録となった。高冷地でも二〇度を越し、下旬は最も暑い時で、雷雨続発し、豪雨被害をおこすことがある。

《8月》

八月は猛暑で月平均気温二五度、三一度以上が連続し、県南部の睦合では四〇度に達し、県内の最高記録をつくる。晴天日数は十六日を数え日照時問は一年中もっとも多い。八月の天侯は稲作上重要な関係があり、初秋蚕飼育や登山など身体を鍛える絶好な時であるが発雷多く、下旬は台風季節となり、水害の危険が濃厚である。月未には、秋風の訪れとともに暑さはしのぎやすくなる。

《9月》

九月初旬は、真夏に劣らぬ暑さで最高気温は三〇度前後、最低でも二〇度ぐらいであるが、月未には平均気温二〇度以上になることは少なく、殊に山岳地帯は月平均一八度ぐらいとなり、富士山頂には新雪を見る。この月はいわゆる台風月で、年六台風の接近により風水害の脅威を受ける。降水量は最も多い月であるのみたらず強風を伴ない、時あたかも稲の花盛りにあたるので、二百十日、二百二十日は厄日として恐れられている。台風の通過に際しては雨量は二~三日間に七〇〇ミリにも達することもあり、昭和三十九年九月二十八日、寒冷前線が南下後移動性高気圧が本州をおおったので同夜から翌朝にかけて急に異常低温となり、白州町では初霜、初氷が観測され、平年より一ケ月早いものであつた。そうLた災害は本県の宿命とさえ思われている。

《10月》

十月はさしもの台風もその回数は減って最適の気侯となる。月平均気温は一〇度ぐらいとなり、時に初霜を見るに至る。半ばを過ぎればぱ甲斐駒、八ケ岳には初雪を見、降水量は二〇〇ミリであるが時に豪雨水害を起すことがある。

《11月》

十一月初旬は、秋の取り入れの最盛期で、引きつづき行なわれる麦のまき付け、朝夕の冷気は身にしみるが日中は汗ばむ程度で、平均気温は六度ぐらいで早朝に置く霜は日ごとにしげく、北西季節風が目立ち、空は澄みわたる。降水量は激減して多雨地帯で一二〇ミリ前後、北部では八Oミリをくだり、年により盆地で初霜を見る。

《12月》

十二月の声とともに、最低気温は毎朝のように氷点下を下り、霜は濃く氷は厚くなるが降水はいたって少なく、五〇ミリ前後となり多雨地区でも一〇〇ミリに達しない。季節風はいよいよ本格的となり、晴天が続き空気は乾燥して寒さのため火の使用を増し火災季節となる。平均気温は上旬で六度~二度、下旬では三度ないし氷点下一度ぐらいとなり、四囲の山々は白雪におおわれ盆地部にも初雪を見るのが通例で、甲府の平年初雪は二十二日となっている。



以上白州町を中心とした気侯について各月ごとの概況をあげたが、日々変化する天気や四季おりおりの気象の移り変わりは、一つとして我々の生活と切り離すことはできない。気象観測所のなかった時代は、自分達の体験から、また自然現象から地域特有の天気予報が言い伝えられてきた。この白州町にもあり現在でも生活に役立っているものをあげておく。



一、自然現象に関するもの

○諏訪口が明るければ明日は晴れ。(白須上、下)

○諏訪口が曇れば明日は天気がまずい。(白須下)

○諏訪口に赤い雲(夕やけのことか)が出ると天気にたる。(荒田)

○はだ寒い風が吹けば雨になる。(白須下)

○南風はフツコミ風で天気が悪くなる。(下教、上教)

○八ケ岳に雲が尾を引くと雨が降る。(前沢、竹宇)

○八ケ岳に帯雲・ヘピ雲が通ると天気が変わり、雨が降る。

「(ヘピ雲が通るから、今度降るぞ」と言う。(前沢)

○八ケ岳に横雲がかかると雨が降る。(下教、上教)

○八ケ岳の棚雲がきれいに抜けると晴天、散ると雨になる。(白須下)

○八ケ岳に雲がかかると風が吹く。(前沢)

○八ケ岳に東の方から帯雲が出て、その雲が上の方に行けば行くほど天気が早く崩れる。(下教)

○山にトウシピ(山すそに陽が当った状態)が出ると雨が降る。(台ケ原)

(駒ケ嶽に雲がかかると雨が降る。(台ケ原)

○駒ケ嶽にアラシ(白い雲または霧)がたてば寒くたる。(前沢)

○雨が降った後は風が強い。(上教)

○大きい雲がかかると天気が変わる。(下教)

○雲が北へ行けば雨にたる。(下教)

○雲が南へ行けば晴れる。(下教)

○横手の中山に雲がかかると雨が降る。(上教)

○ワデの方の空が真黒に星」舌ってくると夕立にたる。(上教)

〇三日月のケソが高いとその年は米の値段が上がる。(上教)

○月がカサをかぶると雨が降る。(竹宇)

○月が赤いと晴れる。(上教)

○月のカサの中に星があるとその星の数だけ晴れの日が続く。(白須上)

○雨が大坊の山から尾白川を越して来る年はダイコソがよくできる。(前沢)



二、動物に関するもの

○ネコが耳をこすると雨が降る。(竹宇)

○ツバメが低く飛ぶと雨が降る。(下教)

○トソピが輸をかいて「ピー」と鳴くと晴れる。(下教)

○ハチの巣が低い所にできるとよい天気が続く。(白須下)

○ハチの巣が高い所にできると雨が降る。(白須下)

○カエルが鳴くと雨が降る。(下教)

○スズメが群れをなして鳴くと雨が降る。(白須下、前沢)

○尾長鳥・カッコーが鳴くと雨が降る。(白須下)





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最終更新日  2021年04月17日 14時51分58秒
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