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山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

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2019年05月22日
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はくしゅうまち白州町<白州町>(昭和59年 「角川日本地名大辞典」による)



〔成立〕

昭和30年(1955)7月1日,鳳来・菅原の2か村と、駒城村の横手・大坊地区,長坂町の一部が分離合併して成立

〔面積〕

137,56km呈〔世帯〕1,264

〔人口〕

4,391人

〔町の木〕

アカマツ

〔町役場〕

〒408-03山梨県北巨摩郡白州町白須312番地

〔町名の由来〕

町域を流れる大小河川から流出した白砂が形成した白州にちなむ。

〔立地〕

南アルプス東麓の町県の北西端に位置し,甲府の北西約30kmにあたる。東は釜無川を境に小淵沢町・長坂町,南は大武川を境に武川村・中巨摩郡芦安村,西および北は長野県諏訪郡富士見町・上伊那郡長谷村に接する。西は南アルプス北端、東は八ケ岳の山麓の浸食崖七里岩で区切られ標高600~700mに耕地・集落が展開している。町の東端を釜無川が南流し,釜無川の支流の南アルプスに源を発する流川・濁川,尾白川などの中小河川が東西に流れ扇状地を形成している。

主産業は農業であるが,町域の約90%が山林で占められている。過疎化現象が進行する中で農業振興や企業誘致のほか,南アルプス国立公園,県立南アルプス巨摩自然公園の一部に属していることから観光開発も進められている。釜無川と並行して国道20号白州町が通る。

〔沿革〕

釜無川右岸台地の遺跡釜無川右岸の標高600~700mを中心とした段丘および緩やかな傾斜の台地上に多くの遺跡が残されている。台ケ原の中台遺跡,白須の大久保遺跡や竹宇一帯,鳥原地区などは,縄文前期から中期にかけての大規模な遺跡としてよく知られている。また,下教来石地域の板橋遺跡からは、かつて住居の炉が発見されたと伝えられている。古墳は、鳥原の柏木に円墳があったと記録されている(昭和54年山梨県遺跡地名表)が,現在は消滅してしまった。奈良・平安期の土器が,竹宇・鳥原・台ケ原の根古屋、および陣ケ原などから採集されている。これに対して,釜無川左岸地域は、急峻な地形のため遺跡は少ないが花水地区の押野からは縄文中・後期の土器や石器,平安期の土師器・須恵器が採集されている。

〔古代・中世〕

真衣野牧古代律令制下における当町域は,巨麻郡に属し,牧の原(武川村)付近から当町にかけては真衣郷に比定される。当郷は平安期御牧の1つ真衣野牧として,甲斐国における重要な馬産地であった。この牧は,八ケ岳山麓に比定されている柏前牧と合わせて,年30疋の駒を出すことが定められている(延喜式)。

〔白須の松原〕

鎌倉期の史料は乏しく詳細は不明であるが,当町内を鎌倉往還が通り,武川衆の祖一条源八時信が次男貞信を白須に封じたといわれている。白須から北西に釜無川沿いに続く白須の松原は、南北朝期に定良親王がここを通って「仮初の行かひちとは聞しかといさやしらすのまつ人もなし」(李花集/群書14)と詠んだことで有名である。

また教来石は,中世教来石郷とよばれた。戦国期,教来石は馬場美濃守信房の領地となった。白須にその館批と、信房が永禄年間(1558~70)に移した若宮八幡社がある。また,鳥原には文禄3年(1594)に再建された石尊神社がある。集落の東の畑の中に「殿畑」とよばれる屋敷跡があるほか,武川村との境にあたる中山にも中山砦がある。さらに花水地区の裏山には東を大深沢によって浸食された城山があり,天正10年(1582)の花水坂の合戦の舞台となった。中世創建の寺院としては逸見清泰の開基と伝える清泰寺(曹洞宗)をはじめ、弘安元年(1278)創立の教慶寺(曹洞宗),弘長年間(1261~64)創立という来福寺(臨済宗)がある。

〔近世〕

江戸期の村々天正17年(1589)の関東総検地に際し,甲斐国の検地は伊奈忠次が行い、慶長年間(1596~1615)には大久保長安を検地奉行とする慶長検地が行われた。当町域の江戸期の村々は、巨摩郡武川筋に属し,「天保郷帳」には上教来石・鳥原・大瑚11・下教来石・自須・台ケ原・横手・大坊新田(横手村枝郷)・片颪の9か村が見える。

江戸初期の支配は上教来石・鳥原・大武川の3か村が轟府領,下教来石から横手の4か村が旗本馬場氏知行,片颪村が同曲淵氏知行,中期には甲府藩頷、後期には幕府領となっている。

甲州街道の宿場町当町内を甲州街道が通過し,台ケ原,教来石が宿場として栄え,現在でも往時をしのばせる家並み、屋号が残る。台ケ原宿は韮崎,上蔦木に伝送したまた教来石宿は慶長年間の甲州街道設置時には見られないが、後になって台ケ原と蔦木の中間に置かれた。化政期における馬数は台ケ原で50頭,教来石で39頭を数えている(国志)。

なお茶壷道中は台ケ原の田中明神拝殿で一宿した。山口には信州口の関門として番卒が常駐した山口番所が置かれた。天保7年(1836)の甲州天保騒動(郡内騒動)では,巨摩郡の村々を打ちこわし北上した一撲勢が,下教来石で1軒,白須で4軒,台ケ原で3軒を打ちこわし,出兵してきた諏訪藩兵によって教来石付近で鎮圧された。(筆註----これは記載違い、実際は須玉付近)江戸期の寺社としては,13寺・17社を数える。「甲山紀行」「素堂家集」を著した俳人山口素堂は教来石の出身で,20歳頃江戸に出て,松尾芭蕉や戸田茂睡とも親交があった。当町役場内には「目には青葉山ほととぎす初がつを」の句碑がたつ。

〔近現代〕

行政区画の変遷当町域の村々は,明治元年甲府県,甲斐府,翌2年甲府県の管轄を経て同4年山梨県下となる。

同7年駒城村(大坊新田・横手の2か村とほか1か村),

同8年鳳来村(上教来石・下教来石・鳥原・大武州の吐か村)・菅原村(白須・台ケ原の2か村)・清春村(片颪村とほか2か村)が成立,

同11年北巨摩郡に所属した。

同22年市制町村制施行の際清春村の」部(現小淵沢町)を分離し,鳳来村・菅原村・駒城村・清春村はそれぞれ1村で存続した。

昭和30年清春村が長坂町の一部となり(1月),

同年7月鳳来村・菅原村および駒城村横手・大坊,長坂町片颪が合併して白州町となる。

過疎化と農業振興明治5年学制にともない菅原学校・教来石学校(のちに鳳来と改称)が,同11年には駒城学校が設立され,その後,各小学校を経て,昭和52年鳳来・菅原・駒城の3小学校を統合し白州小学校となった。昭和22年新しい学校制度にともない菅原村外二力村組合立白州中学校が設置され,同30年町立となり,同54年新校舎が完成している。

また明治30年,県内に相次いで銀行が設立され,当町域にも台ケ原に菅原銀行が設立されたが,昭和5年峡北銀行を経て同12年廃止された。

当町の生産基盤は農業であり,耕地の割合は水田58%,畑42%となっており,生産は稲作が首位を占め,次いで果樹(ブドウ,モモ),畜産(肉牛)などのほか養蚕その他となっている。昭和34年2度の台風災害を契機として、翌35年6,677人をピークに人口は減少の一途をたどり,若年層の流出を中心に過疎化の進行が著しい。同39年農業改善事業が開始されたが,同45年過疎地域の指定を受け、過疎対策事業を推進している。農業振興をめざし,農地の流動化を図る土地銀行,大型農業機械のリース,共同使用を行う機械銀行,さらに堆肥銀行などのユニークな試みもみられる。なお,下教来石・前沢・白須・中山には,平均3,4戸で組織されたミニ農場があり,肉牛飼料・コンニャク・ハウス花卉などの栽培が行われている。

また鳥原では良質な水と自然環境を背景としたウイスキー工場(サントリー白州ディスティラリー)などの企業誘致をする一方で,観光開発を進めている。

〔史跡・文化財・文化施設〕

県天然記念物に横手の駒の松,白州殿町のサクラ,清泰寺のカヤ,本良院の大ツゲ,県文化財に諏訪神社本殿付棟札・本社拝殿再建諸色勘定帳がある。

文化施設にサントリーウイスキー博物館がある・

〔現行行政地名〕

○おおむかわ・大武川

町の北端。北から東にかけて流下する釜無川を境に長野県富士見町に接し、集落は同川右岸に立地する。東部は山林、西部は水田・畑作地。町天然記念物のトチの木がある諏訪神社や塩沢鉱泉・公民館大武川分館・曹洞宗福泉寺がある。産物は米・寒天。

○かみきょうらいし・上教来石〒

町の北部。南境を加久保沢川が東流し,東端の釜無川に合流する。北境に接する長野県富士見町と結ぶ国界橋が架かる。集落は段丘上,西方から釜無川に流下する河川の周辺に点在し,東部は水田・畑作地。国道20号が縦断し,韮崎市へのバス便は1日5回。町文化財には山口諏訪神社の本殿・拝殿・鰐口,町史跡に山口関所跡がある。また、公民館上教来石分館・曹洞宗教慶寺・八幡神社・山ノ神神社・金比羅神社がある。産物は米。



○しもきょうらいし・下教来石〒

町の北部。北境を加久保沢川、南境を流川が東端の釜無川に東流する。これら河川のつくった隆起扇状地上に位置し西部は桑園,東部は水田・畑作地。集落は東端にあり,集落の中央部を国道20号が縦断,韮崎市へのバス便は1日14回。当地の獅子舞と道祖神祭は町無形民俗文化財。公民館下教来石分館・臨済宗来福寺・諏訪神社・皇大神社・明治天皇休息記念碑・鳳来郵便局・白州農協鳳来事業所・鳳来警察官駐在所・町営住宅がある。産物は米。諏訪神社本殿(付棟札)・本社拝殿再建諸色勘定帳は県文化財。



○しらす・白須

町の南部。北境を神宮川,南境を尾白川が東流し、東端を流れる釜無川に注ぐ。隆起扇状地。西部は駒ケ岳支峰に続く山麓斜面,東部は水田・畑作地。集落は東端に集中し,国道20号が走り,韮崎市へのバス便は1目15回・県道駒ケ岳公園線が国道から分岐する。県天然記念物白州殿町のサクラ,町天然記念物の前沢正八幡神社のケヤキ,白須若富八幡神社のモミがあり,また,町役場・白州農業婦人の家・民俗資料館・白州中学校・白州小学校・白州保育所・町診療所・町農協,曹洞宗の自元寺・長光

寺・法全寺,日蓮宗蓮照寺・若宮八幡神社・駒ケ岳神社・山口素堂碑・町営住宅・公民館白須分館・中央公民館がある。尾白川渓谷は滝と紅葉の景勝地として知られる。



○だいがはら・台ケ原〒

町の南東部。北を流れる釜無川に,南境の尾白川が合流し,両川の間に集落がある。尾白川に沿って国道20号が走り。韮崎

市へのバス便は1日15回。県道台ケ原長坂線と県道台ケ原富岡線が国道から分岐する。公民館台ケ原分館・台ケ原郵便局・台ケ原警察官駐在所1峡北地区消防組合韮崎消防署白州分署・関東地方建設局富士川砂防工事事務所白州出張所・曹洞宗竜福寺・田中神社・荒尾神社,また,七賢の銘柄で知られる山梨銘醸がある。



○だいぼう・大坊

町の南西部。南東は大武川を境に武川村に接する。駒ケ岳山麓。集落の中央を県道駒ケ岳公園線が走る。町民俗芸能の馬八節また、公民館大坊分館・日蓮宗法輪寺・諏訪神社がある。産物は米。



○とりはら・鳥原

町の北部。北境の流川、南境の神宮川がそれぞれ東端を流れる釜無川に東流し,西部は駒ケ岳山麓で山林、東部は水田・畑作地。山麓緩斜面。集落は釜無川に沿う東端にあり,国道20号が縦断し,韮崎市へのバス便は1日14回。町総合グラウンド・公民館鳥原分館・県営住宅・曹洞宗福昌寺・諏訪神社・往大神社・石尊神社がある。町文化財の石尊神社の本殿は文禄3年の再建で1諏訪の立川流の大工によると伝える.産物は米・麦芽からウイスキーの原酒を製造するサントリー白州ディスティラリーがあり、単一のディスティラリーとしては世界最大の規模で森林公園工場となっている。私営の山菜ミニ農場は4haの農地にタラの木4万本を栽培し,観光農業の推進を図る。



○はなみず・花水

町の南西部。南境に釜無川が流れる。七里岩崖下に位置する。公民館花水分館・曹洞宗清泰寺・大官神社・白山神社があり、清泰寺には県天然記念物のカヤ,町文化財の六地蔵塔,元禄15年銘の菟鐘,江戸期に造園された池泉観賞式の裏山導景庭園がある。



○よこて・横手

町の南東部。北境を尾白川が東流する。東と西に山地を配する盆地状地形に位置する。集落の中心を県道駒ケ岳公園線が縦貫し、県道横手日野春停車場線が東へ分岐する。韮崎市(祖母万経由)へのバス便は1日5回。県天然記念物本良院の大ツゲ、横手の駒のマツ、町天然記念物の横手巨摩神社のサワラ,本村関のサクラ,町無形民俗文化財の甲斐駒ケ岳神社太々神楽がある。公民館横手分館・曹洞宗安福寺・王大神社・諏訪神社がある。産物は米。





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最終更新日  2021年04月17日 14時51分13秒
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