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山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

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2019年05月22日
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白州町の誕生 昭和三十年七月一日 旧三カ村(鳳来・菅原・駒城)合併の経過



昭和三十年七月一日、この日は新しい町「白州町」が誕生した歴史的な日である。旧村を合併して町制をしいた。「白州町」という名称は、地域住民からの公募によるものである。新町の地域が南アルプスの花崩岩を浸喰した各河川の扇状沖積州であり、白砂の地域を表現しているものとして、応募点数二一五点の中から審査のうえ決定された。

往時の公文書等を紐解いてその内容をのぞくと、「北巨摩郡鳳来村、菅原村、駒城村横手、大坊及び長坂町片颪をもって白州町を設置」、駒城村柳沢の区域は武川村に編入し、昭和三十年七月一日から施行する。と記されてあり、この文書の内容からしても白州町の誕生は無痛安産であったとは思われない。では一体この新しい町づくりはどのような経過で進められたのであろうか。また近隣の町村ではどのような進展をしていたであろうか。

既に長坂町においては、昭和三十年一月に秋田村、日野春村、清春村の三ケ村を合併し、同年三月小泉村を加えて新しい町づくりにはいっており、また小渕沢町は小渕沢村、篠尾村の二カ村が合併し同年三月に発足をみている。

戦後荒廃しきった日本の経済も、朝鮮動乱を契機に復興の槌音は次第に高まりつつあった。昭和二十二年四月十七日地方自治法が公布されて、地方自治体は制度的には確立したといっても、旧村の規模は小さく、効率的な行政運営は極めて困難であり、高まりつつある住民の福祉の増進や諾事業の遂行は、益々困難の度合を深めていた。国は昭和二十八年十月に、人口八千人未満の小規模町村の合併を促進するため「町村合併促進法」を施行した。県もまた町村合併促進審議会の合併試案を公表した。

こうしたことを契機として町村合併の気運は急速に醸成され、県内の町村はそれぞれ地理的要件や経済、文化、交通等の諸要件を勘案して合併のゴールに到達したり、促進の途上にあったりしたわけである。ではこの時期わが白州町にあっては、どのようた経過をたどっていたのであろうか。

合併のバートナーは、基本的には地域住民としても、県試案の中においても、鳳来村、菅原村、駒域村の三ヵ村合併がごく自然であり、また人情「風俗の点から見ても容易であると考えられていた。さらにまた、昭和二十八年十一月より将米を見越して組合立中学校を設立し、なお旧菅原村の授産所、医療施設、定時制高校等の諾施設を通じ地域の一体性をなしており、最もスムーズな縁組であると考えられていたわけである。しかし実際に町村合併を進めるに当たっては、少数意見ではあったが鳳来村、菅原村、駒城村、武川村、円野村の五ヵ村合併が望ましいという意見もあり、また三ヵ村合併を進める中で鳳来村の一部、下教来石区が強硬に小渕沢町への合併を主張し、駒城村にあっては、柳沢区が地理的条件や人情風俗からしても武川村の方が近いとして、最後まで四カ村合併を主張する等異論が噴出し、時の為政者を大いに悩ます結果となったわけである。

《その時、菅原村》

それではまず三ヵ村の地理的中心である菅原村においては、どんな動きがあったかみてみょう。

①町村合併に関する村内懇談会開催

一、日時昭和二十九年三月十九日午後一時より

二、場所菅原村役場

三、出席者村議会議員各種行政委員各種団体長前村長の経歴を有する者

この会合で出された基本的な確認事項は、次のようなものである。

一、適正規模という観点からして菅原、鳳来、駒城の三力村合併案が適切である。

二、清春村片颪(現在の名称「花水」)は既に長坂町と合併Lているが、地域住民の強い要望があるので、平和裡に手続を了するならば対等な合併を行なう。

こうした基本線が打ち出されたので、このことを踏まえ、鳳来、駒城の両村に具体的に呼びかけることとなった。もち論近隣の関係村においてもそれぞれ会合を開いて、この問題にどのように対応するか検討が加えられていたものと推測する。



②三ヵ村合併に関する第一回懇談会

一、日時昭和二十九年六月二十九日午後一時より

二、場所菅原村役場

三、出席老三ヵ村の三役及び書記村議会議員

最初の会合であったため、三ヵ村合併案と武川村・円野村を含めての五ヵ村合併案が検討されたが、推進の大勢は三カ村案が適切であるとして、各村住民の意向を取りまとめるべく申し合せ、次会に持ち寄ることとなった。



③三ヵ村合併に関する第二回懇談会

一、日時昭和二十九年九月十日午後三時四十分より

二、場所菅原村役場

三、出席者前回に同じ

前回の申し合せにより各村の状況をきいたところ、鳳来村においては八月二十八日に下教来石区が区民大会を開き、小渕沢町への合併を強く要望し、また駒城村においては、三ヵ村案では柳沢区に異論があり、武川村を含めた四ヵ村案を希望する旨の発言もあり、三ヵ村案の結論を出せるような状勢になかった。

このまままでは前に進むことが難しいということで、次回には各村とも促進法に基づく正式た協議会を設置し、その意向を持ち寄ることを申し合せ散会した。



④三ヵ村合併に関する第三回懇談会

一、日時昭和二十九年十二月十八日午後一時より

二、場所菅原村役場

三、出席老前回と同じ

各村の状況説明は次のようなものであった。

・鳳来村協議会を設置して十六日に初会合の予定であったが、不慮の災害が発生し開催することができたかった。したがって状況は進んでいない。

・菅原村いずれ合併することを期して、着々と諸般の整備を進めている。

・駒城村柳沢部落の状況から、武川村を含めた四ヵ村合併を希望し、武川村に働きかけているが、武川村から意志表示のない場合は、四ヵ村合併案は断念せざるをえない。

現段階はこのように依然として不透明な状況下にあり、前進がたいという判断であったが、このままだと本日の会合の意義はないということで一且休憩にはいり、再度意向を調整したところ、次のような結論を得た。

一、鳳来村、駒域村の状勢も考慮し、年内に議会の議決を経て町村合併促進法第五条に基づく三カ村合併促進協議会を設置し、具体的な進展を図る。

二、協議会の構成は各村の三役、書記及び各十五名ずつの委員で構成する。規約案については当事者間で起案する。

この目の申し合せにより、駒城村ではさっそく同月二十八日村議会を招集、鳳来村、菅原村、駒城村合併促進協議会設立並びに規約制定の件を付議し議決を経た。翌年一月十日菅原村においても議会の議決を了したが、鳳来村においては下教来石区の小渕沢町合併への要望はいよいよ高まり、容易に進展する様相がみられなかったため、またまた三カ村合併促進協議会の設立は大幅に遅れることとなった。

しかしながら、町村合併促進法の一部を改正する法律(町村長及び議会議員の任期延長の特例)の施行に伴い、にわかに調整の気運が起り、鳳来村においても昭和三十年四月十五日協議会設立の議決を了したので、しばらく停滞していた状勢は一気に動くことになった。

その進展の動きを、月日を追って記述すると次のようなものとたる。

①第一回三ヵ村合併促進協議会開催

一、日時昭和三十年四月十七日午前十時より

二、場所菅原村役場

三、出席老各村合併促進協議会委員

・各村の委員名簿

○鳳来村三役及び書記村長職務代理者助役中山資一、収入役渡辺正道、書記宮沢久

委員、名取敏、名取与志雄、中山権一、山田只一、各取重雄、小林益雄、各取岩光、中山宗寿、唯井清、中山元平、宮澤重則、各取保親、灰原敏文、渡辺郡時、渡辺源吾

◎菅原村三役及び書記村長古屋五郎、助役鈴木雅夫、書記山田利直

委員、古屋初秋、古屋直治、山田七朗、伏見薫治、埴原政已、伏見鮫男、入戸野作造、大輪瑛旭、原邦武、島口巌、成沢浪次郎、埴原はるえ、山田歌雄、山田宗直、細田三郎

●駒城村三役及び書記村長中山敏雄、収入役宮川義徳、書記中山優

委員、小澤喜憲、駒井昇、水石義言、山田田護棲、天野貴久雄、向井重万、鈴木和夫、駒井七郎、中山安義、牛田武友、牛田薫、鈴木文美、中込虎万鬼、宮沢幸治、中山栗男



《各村の状況》

・鳳来村三カ村合併の線で努力してきたが、一部に異論があって協議会の設立が遅れた。しかし、過日村議会の議決を了した。

・菅原村片颪部落との合併は、三ヵ村合併と同時に境界を確定して合併したい。たお武川村が四ヵ村合併を申入れた場合、菅際村としては原則的に賛成する。ただし、鳳来村の事情も考慮し対処してゆきたい。

・駒城村昨年末三ヵ村合併の基本線で協議会の設置を議決し、この方針に賛成ではあるが、村内の一部に四ヵ村合併の声があるので、できうれば四ヵ村合併案も促進願えれば、村内事情の調整が図れる。



《協議決定事項》

一、三ヵ村合併の基本線に沿って協議会を設立推進する。

二、武川村を含めての四ヵ村合併問題については各村の事情を調整し、ともども四カ村合併を可能ならしめるよう努力する。

《役員の選出》

会長、古屋五郎

副会長中山敏雄、中山資一、名取敏、伏見薫治、駒井七郎

《事務所の設置》

菅原村役場内に置く

設立年月日、昭和三十年四月十七日とする。

こうして三ヵ村合併促進協議会が正式に発足したので「あとは一気呵成かと思われたが、これがまたなかなか動かない。なぜかというと、駒城村の柳沢問題が容易に収らないからだ。このままの状態を放置すれば、合併協議はいつ進行するか見込みがたたないということで、急きょ鳳来、菅原のニカ村懇談会を開くごとにたった。



《町村合併に関する鳳来、菅原ニカ村懇談会》

一、日時昭和三十年五月二十三日午後四時より

二、場所鳳来村役場

三、出席老鳳来、菅原の促進協議会委員



◎菅原村長よりの経過説明

既に三ヵ村協議会が発足し、向う三ヵ月以内に合併を達成しようということで努力している。しかるに駒城村に柳沢間題があって進展しない。その後駒城村は武川村と交渉したところ、武川村は単村でゆくことを主張した。柳沢の間題は一集落の問題で、三ヵ村合併の基本方針になんら影響するものではないと思う。合併をするなら七月一日を目途としたいが、柳沢はあくまで四ヵ村合併を主張している。三ヵ村合併に見込みがないたら協議会は解散するしかないが、今後の協議会に臨む態度を二カ村でじっくり相談したい。

○鳳来地区委員より塞言

駒城村長より二十五日に村協議会を開催して緒論を出すので、二十七日まで待ってくれとの連絡があった。

鳳来村の立場からすれば、四ヵ村合併案には賛成できない。三ヵ村合併の線で進んできたのであるから、感情的になるわけではないが、見方からすれぱ最早猶予の段階ではない。三ヵ村がだめなら鳳来、菅原の二カ村合併をするという断固たる決意で臨みたい。

こうした膠着状態を打開する道をめぐって、各委員からそれぞれ意見が出されたが、強い意志の表明は、三ヵ村合併を推進する駒城村の立場を逆に応援することにもなるとして次のように決議した。

《決議文》

一、駒城村の返事は二十七日まで待つが、以後は遅延できない。遷延する場合は協議会を解散する。

二、三ヵ村合併が不可能の場合は、直ちに鳳来、菅原の二ヵ村合併を推進する。

《第二回三ヵ村合併促進協議会開催》

一、日時昭和三十年五月二十八日午後一時四十分より

二、場所菅原村役場

三、出席者合併促進協議会委員(ただし駒城村柳沢地区選出委員欠席)地方事務所係官(歌田主事)

●駒城村の状況説明(駒城村長)

三ヵ村合併に関する単村の会合を開いたところ、下部浸透が不充分ということで、再度会合を重ねて下部の意見をきいた。それによると横手、大坊地区は三ヵ村合併後において四ヵ村の合併を図るべしとしたが、柳沢地区はあくまでも四ヵ村合併を主張している。

こうした状況について、各委員から次カと左のような発言があった。

・駒城村長に対し、柳沢地区を除いても三ヵ村合併を推進するか。

・武川村議会の意向が当分単村でゆくときいている。相手が返事をしないのに、四カ村案を主張するのはおかしいではないか。

・駒城村としては、集落を割ってはならないと頑張ってきたが、今日のような状況にたって残念だ。今後もなお柳沢に呼びかけたい。

・鳳来村にも似た事情がある。しかし一部を捨てても三ヵ村合併を進める決意だ。

・村内にいささかの異論もないようにすることは理想だが、今やそのような段階ではない。当事者が腹を決めてかからなければ進展しない。

このような種々の論議の中にあっても、なお大勢は三カ村合併に賛意を表したことにより、本日の決議として次の項目を確認した。

一、合併の議会議決は来る六月二日の午前中に了すること。

二、合併後は「町制」をLき、早急に町名を公募する。

三、新町の発足日は来る七月一日とする。

四、今後の協議会の進め方は、六月二目に全員で大綱の審議をなし、而後は専門委員会を置いて審議する。

五、武川村との合併間題は門戸を開いて置く。



《第三回三ヵ村合併促進協議会開催》

一、日時昭和三十年六月二目午後二時五十分より

二、場所菅原村役場

三、出席者合併促進協議会委員(ただし駒城村選出委員は全員欠席)

会長より、目下駒城村においては議会を招集し審議中たる旨説明し、若し駒域村が脱落した場合はいかにすべきか諮った。結局はここへきて後退は許されたいので、「鳳来村、菅原村及び長坂町の一部と合併する」ことを確認して散会した。

《第四回三ヵ村合併促進協議会開催・事態急展開》

一、日時昭和三十年六月三目午後二時より

二、場所菅原村役場

三、出席者合併促進協議会委員片颪代表委員地方事務所係官

・会長より経過説明

五月二十八日の協議会決定事項として、六月二日に各村合併議決を了することとしたが、途中駒城村に故障があり、去る一日には駒城村長より残念だが三カ村合併の線から脱落する旨の連絡を受けた。しかし、二日には駒城村が脱落しても鳳来、菅原の二カ村と長坂町の一部との合併を実現するとの確認をえた次第である。ところが、駒城村からは、柳沢地区を分離して三ヵ村合併に加わるという連絡があったので、当初の基本線に戻って進むこととなった。

◎鳳来村選出委員より経過説明

鳳来村においては、六月二目村議会で三カ村と長坂町の一部との合併を了承した。しかし、昨日の駒域村柳沢地区脱落の事情により、本日なお単村の協議会を開催した次第である。下教来石の一部には依然として小渕沢町と合併を望む声があるが、三カ村合併の基本線は決定をみている。



●駒城村選出委員の経過説明

ご承知のとおりの村内事情があったが、これでさっぱりした。決議は横手、大坊と柳沢を分離し、横手、大坊は三ヶ村に、柳沢は武川村と合併することとなる。

○菅原村選出委員の経過説明

本村には両村のような事情はない。両村のことについてはその都度心配していた。本日の基本線に沿った合併を喜ぶものである。

・駒城村の分離について会長より次のように説明する。

合併決議の内容は柳沢の分離ということであるが、実質的には三カ村及び長坂町の一部との合併で、何等変更はなく決議文の統一を図ればよいと解する。全委員この説明を了承する。

・引き続き合併条件の協議にはいり、逐条審議のうえ大綱を決定した(別表合併条件鴇議書参照―省略)。なお、細部の点につき協議を進めるため専門委員を選出する。専門委員には各村の村長、議長、副議長を充てる。



《合併促進協議会委員の補充及び片颪地区選出委員の選任》

一、柳沢地区選出委員の補充は駒城村に一任する。

二、片颪地区選出委員として次の五者を選出する。

植松千秋、植松定七郎、小林栄良、小林完良、植松文雄

・三カ村合併促進協議会小委員会開催

一、日時昭和三十年六月五日午後一時より

二、場所菅原村役場

三、出席老各専門委員

合併条件の細部につき審議し、決定をみた。(別表合併条件協議書及び白州町建設計画参照―省略)



《第五回三カ村合併促進協議会開催》

一、日時昭和三十年六月十五日午後二時一五分より

二、場所菅原村役場

三、出席者合併促進協議会委員地方事務所係官

審議に先だち、会長より駒城村に駒城村の分割による財産処分の状況説明を求める。

●駒城村長財産処分については、財産処理委員会を設置し処理している。具体的に説明すると、山林の内保安林の関係は「財産区」としたい。小学校は一部事務組合で運営したい。公民館は小学校の付属建物として学校が管理する。小使室は小使に無償で支給したい。駐在所は保留する。田、畑、山林については所属地により分割する。ただし後日財産処理委員会において評価額を設定し、この評価額を戸数割で分割する。村有地の水田は小学校の実習地とする。村債、基本財産は戸数割等で分割する。白州中学校に通学している柳沢の生徒については、通学者の希望にまかせたい。

この駒城村長の説明のうち、小学校を一部事務組合としたいという意見には異議があり、論議のまととなった。しかし、財産分割問題があるので当日は結論に達しなかった。



《次に駒城村及び片颪(花水)の境界について質した》

駒城村長大武川をもって境とする。大武集落については測量したところ、七対七に世帯を分割した。

《片颪(花水)の境界については会長より説明》

会長片颪の境界は長坂町長と協議し、大字を境とすることとなった。明朝さらに話し合いを進める。

引き続いて「白州町建設計画」につき逐条審議をなし、原案どおり決定した(別表白州町建設計画参照―省略)。なお、補足事項についても審議決定した(別表協議附属壽等参照―省略)。

かくして昨年から連綿として続いた合併促進協議会も、曲折を経ながらようやく総ての点で合意に達した。議会の合併議決は鳳来村、菅原村、駒城村は六月四日に、長坂町は六月三日、武川村は六月九目それぞれ議決を了した。

あとは七月一日の新町の発足を待つばかりとなったが、駒城村の財産処分のうち、武川村との共有財産となった小学校校舎や、財産区で管理するとした「一の出し」の保安林等、次のような後日談を残した。

一、共有財産となった駒城小学校は、合併後武川村と折衝、双方の見解がくいちがったが、結局は小学校校舎の一部を取り壊し分割した。

二、大武川ぞいにあった通称「一の出し」という保安林は、昭和三十四年の大災害によりその全部が流出した。





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最終更新日  2021年04月17日 14時50分38秒
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