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2019年05月24日
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甲斐源氏の勃興と谷戸城

甲斐源氏源義清・清光父子の甲斐配流


資料『大泉村誌』「第三編大泉村の歴史」第一節甲斐源氏の勃興と谷戸城他一部加筆。


谷戸城


資料『大泉村誌』「第三編大泉村の歴史」第一節甲斐源氏の勃興と谷戸城他一部加筆。

本村(大泉村)を中村とする中世における歴史的変遷、とくに本村が甲斐源氏発祥の地とされ、本県中世史上にとって重要な地域とされておりながらも、その歴史を築いた人々の足跡・事績を知り得るための村内史料は極めて乏しく、それは文字どおり皆無にひとしいといっても過言ではない。史料欠乏の大きな要因は、甲斐源氏勃興の一時期をのぞいては古代・中世を通じて甲斐における政治.経済・文化の中心が、いずれも甲府盆地の東部地域、すなわち峡東地方にあったことによるものといえるのであるが、こうしたなかで、本村には甲斐源氏勃興の初期に大きくかかわりを持ち、きわめて重要な役割を果たした唯一の遣跡として、古代・中世初頭の古城跡と目される「谷戸の城」が存在する。この城跡は平安時代末期、父武田冠者義清のあとを受けて甲斐源氏興隆の基盤を確実なものにしたといわれる逸見冠者黒源太清光が本拠としたという山城で、この城跡をめぐる歴史は同時にまた八ケ岳南麓に展開する広大な台地・逸見荘一帯を本飢地として活躍した往古の甲斐源氏の雄姿を紡佛とさせる貴重な遣跡であるといえる。しかしながら、近時、この谷戸城のある「逸見山」について、新しい歴史的考察に基づく異説の唱えられていることは否定できない。






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最終更新日  2021年04月17日 14時05分35秒
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