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2019年06月02日
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カテゴリ:山梨の歴史資料室

山梨県のなりたち

 
 『新人国記』

朝日新聞社刊 昭和38年 一部加筆


 昔の呼び名は甲斐。カイは山梨の峡(かい)、山と山との間という意味。めぐらす山々を天然の城として、戦国乱世に武田三代の繁栄をほこり、中部日本のほぼ全域を領地とする勢いだったのが、勝頼の代、織田徳川連合軍にトコトンまで滅ぼされてしまう。徳川時代は幕府天領。狭く貧しい山峡に閉じこめられたうえ、三百年の圧政が続き、人々は、すぐれた民政家でもあっ信玄ヘの渇仰をつのらせた。山々と、ひとりの英雄とが、独特な甲州人気質をかたちづくって、今日に及ぶ。

 明治二年、甲府県。明年、山梨県と改めた、山梨は古い郡の名。今の山梨市のあたり、太古、山のない平地に湖水が瀬をなしていた。そこで山無瀬(やまなせ)。また。付近の岳ろくを平らにならして村落をひらいたので、山ナラシ。ヤマナシの名の興りに、この両説がある。






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最終更新日  2021年04月16日 18時53分59秒
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