カテゴリ:著名人紹介
山梨県 雨宮敬次郎 『新人国記』
朝日新聞社刊 昭和38年 一部加筆
行商から崩浜の糸・洋銀相場へ、コースは若尾と同じだが、より豪放な勝負師。胸今患って血を吐きながら、栄枯はなばなしい一代である。 明治元年、欧米を旅してフロックコ-トで帰るや、「わしは人より少しく先が見える傾きがある」といい「文明的」諸事業を開拓した。織機、製粉、牧場、製鉄、水力発電、電気鉄道。また、明治三十六年開通した中央線の県立業者。権利を政府に譲るのに条件をつけ「わしの邸の前を通せ」。おかげで笹子トンネルを抜けた中央線は甲府に直行できない。雨宮邸のある塩山までUの字型に遠回りすることとなったのだ、という。若尾と雨敬 甲州財開創業期の両雄。しかし、雨敬も息子の亘が旱世して、一代でおわる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年04月16日 18時53分02秒
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