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山梨県 広瀬久忠 篠原忠右衛門 『新人国記』
朝日新聞社刊 昭和38年 一部加筆
広瀬久忠 雨宮家の亘、若尾家の璋八、このふたりは、ともに塩山市の名門・広瀬家から養子にいった、実の兄弟。その甥で広瀬家の当主というのが、このひと、広瀬久志。 内務官僚から戦中の厚相。戦後、参院議員。憲法改正「広瀬試案」をつくり、いま憲法調査会委員。七十四歳。また久忠の弟・名取忠彦は山梨中央銀行頭取。
篠原忠右衛門 石和町東油川の豪農。安政六年、隣村の川手五郎左衛門と連合して、生糸売込問屋「甲州屋」を横浜にひらく。奮闘むなしく、明治八年つぶれてしまうのだけれど、新しい横浜市史では、どうも、この二人こそ甲州財閥の始祖らしい。若尾・雨敬も、はじめは「甲州屋」でワラジを脱いだのではないか。 「甲州屋」の記録が残っている。甲州から出て来て、まず、幕府に横浜に借地を願出るのだが、三井をはじめ門閥、特権商人への地割りが絶対優先で、無名の甲州商人なんか相手にしてくれない。幕府天領で、殿様という後盾を持たぬ国の悲しさだ。しかし、生きねばならない。何回となく要路へのつけ届けも重ねて、やっと駿河星や伊勢屋の間に割込ことができた・と、記録にある。 中央に出れば、傍系、無名、立ちおくれ。戦うには、つけ届け、買占め、乗っ取りの井常手段をも辞さぬ度胸だ。百年前の「甲州屋」奮闘録は、そのまま、あと何日まで続く甲州財閥の性根のきびしさにつながっているように思われる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年04月16日 18時51分30秒
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