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2019年06月03日
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カテゴリ:著名人紹介

山梨県 若尾逸平 『新人国記』

朝日新聞社刊 昭和38年 一部加筆

 

最初はてんびん棒一本の行商から、開港まもない横浜にかけつけて生糸相場巨利を積み、一代たちまち、明治の冨豪になった。小柄な醜男だが、勝気、がん健、機敏。甲州財闘に相応しい伝説的人物である。

 明治二十年代、東京市電の前身である東京馬車鉄道株の買占め。続いて東京電灯を乗っ取り、成長産業の重役室に入る。出社すると、いつも入口で事務員たちに一礼し

「どうもへえ皆さん、だんだんとおかげで」

と、あいさつした。

 財界に「甲州財閥」の名が出はじめたのは、このころ。甲州出身の事業家たちが、若尾を中心として群れをなし、力ずくで既成財閥と争った時代だ。とくに東電は、以後昭和の初めごろまで、佐竹作太郎、神戸挙一、若尾璋八ら若尾系が歴代社長を独占する。

 逸平の弟・幾造 横浜生糸界に勢力を築いた横浜若尾の祖。いま五代目が若尾ビル、若尾貿易などを経営している。

 

 山梨県 小池国三 『新人国記』

朝日新聞社刊 昭和38年 一部加筆

 

少年のころから甲府の若尾商店に奉公し、若尾の秘書格で生糸や株の買い占めに奔走、のち独立して今日の山一証券を創立(倒産)。山一という商号は、若尾の商号〈市〉からとった、と伝記にある。

二代目・厚之肋が、いま山一会長。六四歳。東大からオックスフォード大に学び「証券界の絹のハンカチ」とも評される温厚、堅実な紳士だ。

 ところで、開祖・逸平は大正二年、九十四歳で死去。同七年、米騒動で甲府の店を焼かれたうえ、昭和三年の犬恐慌で倒産。

 若尾家の豪壮な墓を甲府でみた。荒廃していて、いまは、お参りする人もないという。

 

山梨県 雨宮敬次郎 『新人国記』

 

朝日新聞社刊 昭和38年 一部加筆

 

行商から崩浜の糸・洋銀相場へ、コースは若尾と同じだが、より豪放な勝負師。胸今患って血を吐きながら、栄枯はなばなしい一代である。

 明治元年、欧米を旅してフロックコ-トで帰るや、「わしは人より少しく先が見える傾きがある」といい「文明的」諸事業を開拓した。織機、製粉、牧場、製鉄、水力発電、電気鉄道。また、明治三十六年開通した中央線の県立業者。権利を政府に譲るのに条件をつけ「わしの邸の前を通せ」。おかげで笹子トンネルを抜けた中央線は甲府に直行できない。雨宮邸のある塩山までUの字型に遠回りすることとなったのだ、という。若尾と雨敬 甲州財開創業期の両雄。しかし、雨敬も息子の亘が旱世して、一代でおわる。

 






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最終更新日  2021年04月16日 18時48分00秒
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