カテゴリ:甲斐駒ケ岳資料室
仙水峠 駒ケ岳・仙丈岳・自嶺縦走-柳澤登山口 『日本南アルプスと自然界奥付』 昭和六年発行 流石英治氏著 甲府市朗月堂発行 一部加筆
仙水峠附近は古生層の粘板岩、硬砂岩の接触変質を受けたもので、赤薙沢の合流地点までに世人の探索を免れ但勝景が埋没されているのである。「原より大坊」、奥大坊をすぎて大武川を遡れば左に「藪の湯」が見える。夏の期間この地方の人々が避暑がてら温泉湯治にくる處である。 一ノ澤、二の澤を過ぎると勘五郎の小屋がある。これより登れば、魚止滝・勘五郎滝などが幾つとなき瀑渓の中に、殊に大きな瀑布を見せている。左は逍くらか広河原に続く赤薙澤であるが、仙水峠はこれと方向を異にして、真西にて千二百mの等高線のあたりで急に轉向して「八町横手」と云う花崗岩地に接続するのである。 二一六七mの高地を宮の頭と呼ぶが、その直下の「ヒョングリ瀧」といふうあたには無数のヒョングリ瀧が並列している。俗に「ヒョングリ」と云うのは、岩壁を奔流して瀑水が瀧壷の岩盤にあたるや、勢い余って反発して「サイフォン」状に飛散するのを云うので、実に雄大壮厳のものである。 柳澤を未明に出発すればこの瀑渓を探り、仙水峠附近の石室に野営することも出来るし、強行すれば仙水峠を越えて北澤小屋に行くことも可能である。 駒城の人夫、「イワナ」釣りは至って手軽に此渓谷を上下するらしい。尤も雨天の際は危険が甚だしいから余程注意する必要がある。我等はこんな絶勝を第一日に紹介されたので、駒ヶ岳を登るよりもこの渓谷に踏込む事が、より多く山の興味を唆るものがあつたが、台ケ原より登る仲間もある事とて、残念ながら大武川遡行は次回に譲る事にした。
駒城小学校を五時過ぎに立って、奥大坊を過ぎ、六九〇mの水準点のある辺りから西に折れて七四〇mの線上の地点、奥大坊の奥の字の北僅か西にあたる邊に「駒ケ岳鉱泉」が位置しているが、そに着いたのは彼是六時過ぎであった。 篠原博氏及師範山岳部の一行も既に到着していたので、一同は喜んで二階の客室に集まってコースの相談、諸般の準備等について話し合う、まだ見ぬ山の気分が濃厚に漂った。 ヒグラシの声がしきり鳴きしきると、遠方に山鳩の聲が聞える。やがて薄黒く四辺が夕闇に包まれ、時鳥がけたゝましく鳴きすぎる。ここは天然の「テイヤガルテン」である。山の出湯に浸りながら鳥の声と川の流れを聞く光景は山に入らねば味わえない感じである。
駒ケ岳鉱泉より五丈の小屋 第二日 七月二十八日 晴 午前五時起床、霧に包囲された四辺は何となくしっとりした湿り気と。冷気とを持っている。引っ切り無しに鳴くヒグラシと虎鶇と時鳥の声は深山の夏の朝の交響楽である。 「こんがお天気でも出かけるのかね――」 宿のお内儀さんは滞留を勧める口振りである。 「なに大丈夫、きっと上天気になりますよ」と 剽軽にS氏は答えて、さっさと仕度をする。 鳳凰山の方から雲がはけ出してきたが。早川尾根の處で少しく渋っているのが気になる。 彼是八時近くに湯を出発した。柳沢の人夫たちが遅れて来たためであった。 八ケ岳を正北に見て」、御牧場尾根の下にある扇状地を北に進めば、七里岩台地の遥か彼方、八ケ岳の麓に一条の白雲が棚曳いている。気象を担当するK氏は早速これをスケッチして、其の変幻浮動の形状を観察している。 「戸の原」と云う、瀧堂澤の押出にあたる一面の傾斜には、山地の植物が混生している。とり分けレモン黄色・のキスゲ(ヒメカンゾウ)の花が衆目を引きつける。俗に澤神と呼ぶ水場には「水天明王」を祭ってある。 此処を過ぎれば駒ケ岳神社の前宮につく、鎬泉より約三十分の行程である。 前宮に參詣して一行の無事を所る。前宮よりは花崗岩の崩壊した赤土で山路急嶮、歩行困難を増して来る。笹ノ平迄は濶葉喬木帯でナラ、クリ、クマシデ、サハシバ、令法、メウリノキ(雌瓜木)等の下に、山ツゝツジ、ミツバツゝジ、ネジキ、サハフタギ(沢蓋木)等が混生している。 白樺も此處に見出されるが、北海道や西伯利亜に見る如き森林をなさないのは、人力の多く作用する為であろう。 六番、七番の観音の辺りでは念入りに休憩して鋭気を養いながら登った。獰猛の縞蚊がズボン、脚絆の上から尖鋭な長吻を差し伸して、剌して来るには閉口する。 御牧場というのは、駒ケ岳のお馬の休むと云う伝説のある處である。大開山駒飼不動は、開山木喰行者の臨終の場所に勧請したものである。駒ケ岳登山者は其の英霊を崇拝し、今日の登山発達の盛況を想い感謝すべ者であろう。 十二番観音は前宮より十八町余である。十四番観音に於いて舊道と合するが、新道は更に尾根を右に絡んで登るのである。 イヌブナ、大バラ等の下には腎葉一薬(ジンヨウイチヤク)が珍しく繊細の花をつけている。十七番観音を過ぎて十八番観音に至る頃には、キソチドリ、竹シマラン、クロクモソウ、センジュガンピ等の下界にはちょっと見当たらない珍草が樹下に叢生している。 午前十一時中尾澤の支流に到着。標高一一九〇m、華氏六九度(摂氏十九度)、一行は小憩して水筒に水を補充する。駒ケ岳・千丈登山一行三名、強力一名と共に後ろより強行して追い着く。彼らは馬力をかけてズンズンと先を急いで立ち去った。蛇澤横手から約一時間も登ると、笹の平の一町ばかり下りで、台ケ原登山口の道と落ち合う。台ケ原登山口は竹宇を経由、前宮に至る約五km、それより舊道は尾根伝いに登るが尾白川の渓流に添って五丈小屋に至る新道は開墾された渓谷で、台ケ原方面の人々が宣伝に力拳を入れている處である。 台ケ原からどの道をとるにしても五丈の小屋まで一日の行程である。文士大町桂月翁が先年この渓谷を訪れて、その絶勝に折紙をつけたことを郷土の人は誇りとしている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年04月14日 14時39分07秒
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