2297183 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2019年06月09日
XML
カテゴリ:甲斐駒ケ岳資料室

濁川渓谷~

駒ケ岳・仙丈岳・自嶺縦走-柳澤登山口

    『日本南アルプスと自然界奥付』

昭和六年発行 流石英治氏著 甲府市朗月堂発行

一部加筆

 

 その上流になる日向山・鞍掛山の鞍部には、花崗岩が崩壊して岩屑地被(ウエーストカバア-)の景観を呈しているが、特にこの辺りの人々に推奨されている。山中に一二野営すれば大岩山、鬼の窓などの奇勝までも併せて探られるだろう。

 笹の平にては雑木に遮られて視界狭小であるが、南坊主、北坊主のドーム形の山容、鞍掛山の大きな節理其の他の岩盤は、花崗岩地に特有の山相である丈豪宕の偉観を呈している。

 笹の平は野火と濫伐に見舞われて、中山特有の熊笹(武田博士に従へば、ミヤコザサ)が叢生している。いつも高山登攀の途中に此の叢生帯を突破せねばならないが、丁度笹の平附近が其の繁生区域で、これより上部には漸々其の姿が減少するのである。

 山路より少しく西方、尾白川渓谷に臨む斜面の細い刻谷に泉があって、登山者を悦ばせる。

 三十三番の観音は嘉永三年(一八五〇)庚戌、山田嘉三郎氏の寄進にかかるもので、野火に残存したカラマツの大木の下に安置されている。

 「笹の平」より急に坂路が急勾配になり、コメツガが増してくる。樹下には、一葉ラン、シラヒゲソウ、マンネンスギ、アスヒカヅラ、ツルリンダウ等が見出される。八ヶ岳は樹木に隠れているが、金峰山はその(ホルン)を冲天に突出してる。得体の知れない積雲が見る間に関東山地に汾湧(ぶんゆう)して其の(ホルン)嘗めてしまった

 高山の気象の変幻多様なることは、予測出来ないものである。

「八町登り」は米ツガの密林で「急坂八町」を称するも、其の實は半分位のものであろう。登り尽くすとまた幾分平坦地を見出すが、それも束の間でまた急坂の山辺に変じ、こんな不規則な山路が何部遍となく繰返されるのである。これは大きな岩石の節理と山崩れとに起因するものであろう。

そしてこの辺りから上部は濶葉樹は全く影を潜め、針葉樹に変じてしまうことに気が付くのである。コメツガの純林とも言うべき薄暗い山道はまるでトンネルである。そして樹下には落ち葉の腐敗し発酵した香気が何とも言い表せないショックを五体に与えて、深山の感じを濃厚に彩づける。

 コイチャクソウ、ヨツバムグラ、キソチドリ、アキノキリンソウ等の草木は、カツラ、ダケカンバの幼樹とハリブキ、ニシキウツギなどの矮樹と黙綴りしている。「牛のマヤ」は平坦なる(ピーク)で、ちょっとした花崗岩の石室には二三人の野営が出来る位の處もある。「三寶の頭」は笹の平より二時間の行程である。荷物無くして急行すれば一時間で十分であろう。(やせ)尾根で其の形状は例え難い。プリズムの一辺を渡ると言った方がよい。

 「刃渡り」少し手前に「水晶魔法天宮」が祀られている。左は万丈の絶壁、岩角を右にからんで恐る恐る歩を運ばせねばならない。

 早川尾根から鳳凰山脈を越えて、遥かの天際に芙蓉嶺がクッキリと浮かぶ。足場に気を奪われて精進がした心が急に開放されて秀麗の気に全身を投入してしまう。こうした困苦の境地を突破して眺められる山容の美しさほど深刻に体験されるものはない。

 「(とう)()天狗(てんぐ)」は大岩磐崩壊して磊砢(らいら)たる(石が多く積み重なった様子)現象を呈している。「(とう)()天狗(てんぐ)の洞窟はそこよりもない距離である。三十度乃至四十勾配の急坂である。

此の辺りから前後一km位の間に亘って、岩盤の下に光(ごけ)の大群落が見出される有様は一壮観である。山梨県内に於いては著者の発見にかる金峰、瑞牆(みずがき)、破不、乾徳山一帯を始めして、早川雁の穴なにも知られいる。此處は大正年頃より注意されたものである。一帯に花崗岩地で米白檜帯の高距二千m内外の岩窟内に見出されるものであるが、南アルプス登山者の見落してならぬ植物群の一つである。

コフタバラン、ハナゴケの中にセリバシホガマ叢生し、ヲサバグサが本県に類少き品種として珍しい。ヲサバグサは八ケ岳の夏澤峠附近に多いが、ここでは黒戸山一帯の針葉樹帯に群落をなして繋生しているのが本山特殊の形相である。シラビソ、大シラビソが(ちく)直立して伸びるさま)として天生し昼なお暗い木下闇である。

 「黒戸山」は二二五三mの三等三角点を有しているが、三角点の位置は山道より東に偏っているので、標石を見るには迂廻せねばならない。スギゴケ類の叢生した、ふかふかの湿地を踏みしだく(せき)(足裏)の反撥力は何ともしが触感で、アルピニストの一の耐え難い悦びの一つである。それだけ密林を潜行するこは苦悩から救われるのである。

 こうした愉悦から黒戸を右に巻いて進むと、急坂を下って五丈の小屋に辿りつくことが出来た。尾白川の水聲が木の間から聞えて、鋸の連嶺が俄かに眼前に現れてくる。大崩壊をした花崗岩の渓谷は尾白川のツマリである。本谷の小枝で残雪と見違う程のガレも著しい。残雪もその處この處に残って、高山の威容を現している。

 今、駒ケ岳の前山を漸く一つ越えようとしている。大きなギャップを眼前に控えて其山頂に見入れば、前途なお洋々の感じに満たされる。そして疲労した気分も尖鋭の峰頭に向っては急に消減せざるを得ない程である。

  「五丈小屋」

急坂を駈け下って午後五時頃五丈の小屋に着く。五丈の小屋は二棟あるが、上のは菅原村の小屋で古くより存在し、下の小屋は駒城村の村営小屋で昨年より開いたものである。

 一行は駒城の小屋に宿泊する事にした。ここは宿泊料として一人一夜半円宛を収める事になっているが、食物は各自の炊飯に任せている、いたって民衆的な小屋である。

 二間半に四間の小屋で、三十人位は収容可能である。台ケ原小屋は作字の伊藤亀吉氏の経営で、大正十三年に再築したものである。大町桂月翁の宿泊した記念に揮われた墨痕は今なお昔を物語っている。駒域小屋は横手の中山儀作氏の経営である。五丈の小屋は屏風岩の直下に位置するので、一名「屏風の小屋」とも云う。

「屏風岩」は危険極まる難所で、鉄の鎖を頼りにする危険区域が物凄い。嘗て強力の一人が素直の梯子を登る際、荷物の重さで梯子の子が折れて自分も下の数名も危難に陥った事があった。幸にその際は咄嗟の場合に気転を利かせて九死に一生を得たと云う事であったが、登山の危難は多くこうした場所に多いものである。

 小屋の後のコメツガの老樹の間から「(つづみ)」と呼ぶ峰頭(ピーク)が鼓形に見える。大武川渓谷を挿んで地蔵ケ岳の峰が逢か彼方にタ日を浴びて聳立する。甲府から仰いだよ一層の偉観である。

 夜になると、大風が吹き荒んで、安眠もロクに出来なかった。でも山上の小屋や、奥深い石室よりも幾分ましであった。

 ミヤマハンノキの根に寄生しれキムラタケと、粗粒(そりゅう)花崗岩の含分である水晶の大晶を、宿の主人からお土産に頂戴した。キムラタケは富士山でオニクと呼んで珍重される薬草であ

 






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2021年04月14日 14時38分47秒
コメント(0) | コメントを書く
[甲斐駒ケ岳資料室] カテゴリの最新記事


PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

山口素堂

山口素堂

カレンダー

楽天カード

お気に入りブログ

9/28(土)メンテナ… 楽天ブログスタッフさん

コメント新着

 三条実美氏の画像について@ Re:古写真 三条実美 中岡慎太郎(04/21) はじめまして。 突然の連絡失礼いたします…
 北巨摩郡に歴史に残されていない幕府拝領領地だった寺跡があるようです@ Re:山梨県郷土史年表 慶応三年(1867)(12/27) 最近旧熱美村の石碑に市誌に残さず石碑を…
 芳賀啓@ Re:芭蕉庵と江戸の町 鈴木理生氏著(12/11) 鈴木理生氏が書いたものは大方読んできま…
 ガーゴイル@ どこのドイツ あけぼの見たし青田原は黒水の青田原であ…
 多田裕計@ Re:柴又帝釈天(09/26) 多田裕計 貝本宣広

フリーページ

ニューストピックス


© Rakuten Group, Inc.
X