カテゴリ:甲斐駒ケ岳資料室
駒ケ岳を越えて北澤小屋へ 駒ケ岳・仙丈岳・自嶺縦走-柳澤登山口 『日本南アルプスと自然界奥付』 昭和六年発行 流石英治氏著 甲府市朗月堂発行 一部加筆 第三日 七月三十日 晴後曇、後雨 午前三時頃よりボツボツ起床する。そして食慾の進まぬ胃腸に、無理やりに朝飯を詰め込んで小屋を後にしたのは午前五時過ぎであった。嶮峻の場所に注意しつつ登攀する。案内人夫を先頭にして、ゆっくり後より登って行く。 観察を記すこと、標本を採集すること、スケッチすること、写真を撮ることご等の幾つもの作業をなすので、中々困難の仕業である。しかもリュツサックに十㎏以上もの重荷を背負って強行するのであるから、随分苦しい事と言わねばならない。是等の苦難を打開しつつ前進を重ねて精進する態度は、正に修験者の行である。我等は登山によって心身の行をする。換言すれば宗教を体得しつつ一歩々々聖地に禮讃するのである。こうした気分が危険の場所に遭遇する毎に痛感されるのである。 人はこうした苦難の巷に彷徨するや絶大なものに縋り、一切を捧ける様になるのであろう。宜なるかな、屏風岩の嶮岨を越えてから、其処此処に見出される石基の数には、これらの浄化した精霊の囁を示していることを。 「山岳は宗教なり」という言の意味を深刻に感ぜさせられの事は、この場所に於いてであろう。 「屏風の頭」は斑状花崗岩により構成されている。「石尊尾根」の第二の梯子を渡る折に、北アルプスの「槍ヶ岳」、「穂高連峰」が見出される。一同思わず快哉(心が晴れやかになって思わず声が出る。)を叫んだ。コバノエイライタイの間にコケモモの群落が現はれ、然も、ツガ、コケモモ、銹病菌の寄生種を多く見出した事は標本製作者に多大の興味を覚えさせた。 「摩利支天尊」の密林の間より北アルプスが隠見し、ことに白銀の輝きは一同の心を絶大なる力を以って吸引する。
「不動岩」附近で東方に甲府盆地が展望される。針葉樹は漸時矮生旦疎鬆(そまつなさま)に生え出しで来て、山は愈々高峻さを増して来たことを物語る。 ダケカバの矮樹(丈の低い木)の上を岩燕が飛翔し、駒鳥歌い、しばらく天の楽園を思わせる。 「白山不動明王」あたりは大岩盤が崩壊し、方状節理が著しく岩角を尖らしている。 「開山行者不動岩」辺りが最も難場であって、登山者を苦しめる。鉄の鎖と枯木の根斡とを頼りに岩盤の上を這って登るので、荒天の際は一層危険である。石南もボッボツ殖えて来るし、サウシカンバ(赤ハリ ダケカンバ)も数を増して来た。 二二五〇mの辺りに唐松の老樹が数本岩盤に根を喰い込んでいる。この岩は無名の岩である故に、これを仮に「唐松岩」と命名する。 北アルプスがハッキリ雲に浮んで見えるので、暫時休憩してスケッチをする。 「五丈小屋」より約二時間で七条小屋に達することが出来る。強行すれば一時間半でも充分であろう。
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年04月14日 14時38分22秒
コメント(0) | コメントを書く
[甲斐駒ケ岳資料室] カテゴリの最新記事
|
|