カテゴリ:甲斐駒ケ岳資料室
甲斐駒ケ岳 暴風雨襲来! 駒ケ岳・仙丈岳・自嶺縦走-柳澤登山口 『日本南アルプスと自然界奥付』 昭和六年発行 流石英治氏著 甲府市朗月堂発行 一部加筆
「御来迎場」からはもう雲脚が速く、「尾白川渓谷」も「大武川渓谷」も、いずれも白雲の襲来を蒙っている。ただ甲府盆地に日光の照射で明るく見えるが、唯一頼みとする駒ケ岳の峰頭すらも瞬間に霧に巻かれてしまった。一同の脳裡を悩ますものは「暴風雨襲来」の予感であった。そして唯ならぬ白雲の襲来と、大粒の雨滴の間歇的に見舞ってくれたのに身を任せねばならなかった。 「昨日の夕焼けの具合が気に入らなかった」 一人の人夫は天気予報者の責任を擔当する如き口吻を洩した。 「今朝の朝焼けの方が余程具合が悪かったではないか」 もう一人の人夫は相槌を打ったが、誰も前途を急ぐに沒々として無言の登高を続けた。 「烏帽子岩」の陰で小休止して不浄谷を右側に見ながら登る。この辺りは方状節理の大岩塊が大厦の如く聳立している。 南風のうねりが水蒸気を多量に吹きつける故、南側は一体に崩壊の跡が物凄い。 南アルプスの登山口は赤石、東、塩見、自嶺の何れの山岳に於いても、東南側に大崩壊が甚しいのを目撃するであろう。 そして此の両方面の急峻なのは、地盤昂起(上昇)の際断絶したり、彎曲したりしたせいであろう。大きなアジア大陸よりの衝撃と、土地隆起に伴うブロック、ムーヴメントがこんな地形を構成し、それに前述の風化削剥(削り剥ぐ)の作用が加わったものでものであろう。とにかく赤石・臼嶺両山脈に通じてこんな地形が著しく見られ登山者の興味を引くは事実である。 「宮の窪」と呼ぶ岩盤の小窪地がある。この處に「駒ケ岳本社」が銀座ましますのである。 午前十時漸くここに辿りつき、本社に参拝した後、岩角に身を寄せて小憩し小昼食をとる。雨はポツリポツリと風に遥られて次第に其の量を増してくる。 々ウヤクリンドウ、コメススキ、ムカゴトラノヲ、タカネツメクサ、イハツメクサ、ミヤマナルコスゲ等の高山植物が岩角の上を飾って、烈風に抗争している状態は荒天の際に於いてのみ見られる自然の景観である。 「宮の窪」より半時間で頂上に達する。「奥の院」が奉祀されている頂上は、ピラミツト形の鈍頭を為し粗粒花崗岩の孤立岩が祠の周囲に屹立している。二九六六mの標高を示す一等三角点の所在地点は神社の背後である。 眼下開けて遠く北・中・南アルプスの峻岳に及び壮観は限りがない。先年登高の際は一点の曇りさえなく、文字通り中央日本の大観を恣にしたのであった。関東山地も御坂山塊も双眸の裡に鎮まり、南アルプスの北門に於ける第一の展望台である。一等三角点の存在も無理からぬことである。 雨足が激しく是等の大観を恣にする事が出来ずして、北澤小屋目指して下る。 「摩利支天尊」へは東南に派生せる尾根を下ること二十分間計りの行程である。「地獄谷」と面してオーバーハングした大岩盤の下を縫う一條の小径は、八丈の少し上より左に入って地獄谷を横切り、この峯に取りつくので、極めて危険の場所である。数年前の登攀の際はこの谷を横断し萬年雪の上に出て鉄の鎖りを伝わって登ったのであった。 此の「摩利支天峰」は大岩盤が切り立って、黒部峡谷の鐘釣山に髣髴(よく似ているものを見て、そのものを思い浮かべること。)している。 一條のザイルで、此の岩壁を登攀するアルピニストが未だにない程恐ろしい急峻である。頂上より花崗岩が崩壊し、風化したザラザラの白砂の上を辿りつつ、金剛杖を頼りにして「六方石」目がけて下る。 ザラザラの砂は少しく下れば尽きて、後は磊々(石が多く積み重なっているさま)たる黒ずんだ岩塊で足を痛める事が甚だしい。雨に濡れた岩の表面はともすれば足をすくい勝ちである。「六方石」に下るまではかなり神経を痛める 就中途中の二三か所は随分危瞼極まる處があって、初心のものには難しい場所である。頂上より下る事五十分で「六方石」につく。 六方石は高二十m、周囲八十mもある粗粒花崗岩の大岩塊で、不規則の方丈節理のため六方状をなす故にこの名がある。 この岩石の位置は二六〇〇mの地点で急峻の山稜は俄然地形を変じ、稍平坦なる状態をなして「駒津峰」に接続するのである。 即ち「六方石」附近までは「駒ヶ岳」の山林を構成する雲閃花崗岩であるが、「六方石」より下ること約二〇〇mの地点より二唇石炭竃の硬砂岩に髪移するのである。「六方石」より駒涼味に到る班尾根は、此の接触変質地帯で花崗岩が硬砂岩に貫入した標本を見出すことが容易である。 「駒ヶ岳」はこの硬砂岩の岩盤が既に存在した後に進出したもので、その上部を被覆せる是等岩類は削剥されて大武川、釜無川、野呂川等の渓谷によって遥かに下流まで搬出、流下されたものである。そして釜無山脈、白峯北岳、早川尾根、仙丈岳等には何れも基盤である古生層の岩盤、即、硬砂岩、粘板岩が存在して、「駒ケ岳」迸出以前の地質年代を物語っている。 「六方石」より約三十五分間で「駒津峰」に至る。二四六〇mの「鈍円頂峰」である。この峰頂より「仙水峠」「北澤小屋」、「北澤峠」一帯は接触変質の粘板岩、砂岩、硬砂岩、角岩等より構成され、白嶺・北岳に及ぶ一帯も亦是等の岩類であることは注意すべき現象である。 峰頂より南東に急斜面を下る事一時開十分にして「仙水峠」に着す。この斜面はシラビソ、大シラビソの幼樹叢生し。急坂は雨の為に滑る事夥しい。一行は何遍となく尻餅をついたり転んだりしたか分らない。 「仙水峠」の垂は南に「早川尾根」に登る道、東に大武川谷に下る道があるが、そんな道を探す隙もなく進む。「仙水峠」に下る途中から、雨はいよいよ猛威を奮って横なぐりに吹きつける。外套を着た上にテントを被って、駈足を交えては「北澤小屋」を目がけて進んだ。「仙水池」は涸れて一滴の水さえも止めない。 磊々たる岩塊に風化作用を物語っているばかりである。途中一回の立休みをしたのみで、一時間二十分かかって「北澤小屋」に着く。時に午後二時九十分であった。峠から小屋までは約四Kmは充分であろう。北澤小屋近くなるご小川を幾度も徒渉したり、倒木の土を這い渡らねばならないので、思いの外に歩行が鈍るのである。 猛雨をついでずんずん下れば、河の流れは益々速く、雨のうなりは益々ひどくなってくる。 小屋の中より立ち昇る煙を認めた時、一同の心は如何ばかり躍りあがったことであろう。
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最終更新日
2021年04月14日 14時37分38秒
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