カテゴリ:甲斐駒ケ岳資料室
甲斐駒ケ岳 北澤小屋 駒ケ岳・仙丈岳・自嶺縦走-柳澤登山口 『日本南アルプスと自然界奥付』 昭和六年発行 流石英治氏著 甲府市朗月堂発行 一部加筆
白檜の茂みを周らした小さい峡の河段丘の上に、県営「北澤小屋」は一行を待って居た。太い丸太を積み重ねた榾火(焚き火)の煙る炉端に転がり込んだ一同の喜悦は、何物にも代へ難く珍しいのであった。 炬燵に集って濡れた着物を乾燥させながら乍ら暖をとる。煙の為に目が充血して涙がひっきりなしに出る。でもやっと救われたので一同は元気を取り戻して、今日の苦辛の跡を追想して見た。 原始生活に復帰した山小屋の生活ほど素朴のものはない。赤々と燃え下る白檜の丸太を見つめ乍らめいめい違った世界に、しばしの安住を見出して前途に考えをめぐらす。心神澄みかえり、「北澤川」のせせらぎと雨の音が交響曲を奏して小屋の内まで聞こえてくるのを覚える。「北澤小屋」の位置は、「北澤峠」より発源する小川と、「仙水峠」より流下する渓流の合流点から五〇〇m計りの上流で、「仙水峠」寄りの渓谷にある。 海抜二OOOmで、仙水峠より約五〇〇m低く、北澤峠万略等高である。渓谷は西山に開き遥かに「小仙丈」の雄姿を仰ぐことが出来る。 ここは山梨県の管内とは名のみで、駒城の人がイワナ釣りに時たまやって来たり、蘆安村の区域だけに御料局や山材課の役人たちを案内してくる蘆安村民が、一年に三・四回訪れるのが関の山であるらしい。寧ろ長野県の領域とでも称すべき程、富士見や戸台・高遠辺の人々がイワナ釣りに、あるシーズンだけ出嫁ぎにやってくるのである。 イワナ釣りは普通一週間か十日程、この小屋に寝泊りして居るのが多い、また登山も現今に於いて幾分甲州方面よりの客が増えたと云うものの矢張り「仙丈は俺が山だよ」と言わんばかりの信州人の考えから東駒、仙丈にかけて登山する伊那や高逡辺りの登山者が多い様子である。 ともかくもこの處は甲州領であつで、甲州人に忘れられた桃源境裡である。若し駒、仙丈、三国が南アルプスの銀座通りならば、この小屋はさしむき「尾張町」であらう。しかも南アルプスの山に憧憬する恐出店を休養させ芯唯一の安息場である。 ことに冬間雪中登山者にとってはこの小舎に優ったもの無いので、今後南アルプスにスキーとカンジキで登山する人士の多くなればなる程、此小屋の価値が高まるであろう。 富士見のイワナ釣り、小池村治郎氏、当年六十一歳、性質の素直お爺さんで二人の青年を連れたもう一人の老爺さんの二組が居った。富士見村から釜無川を圓って横岳峠を越えて北澤峠に出て、この小屋まで約十二時間、丁度一日の行程であると言う。一日にイワナを平均三四十尾釣るが、一尺二三寸のものが多い。往復六日位が普通であるそうだ。 丁度七八月頃羽蟻(ヘビトンボの幼虫)を食うので、其時期をはずさず釣りに来るが、今年で丁度十年も通うと云う事である。この小屋を昨年、県で新築するまでは、これらのイワナ釣りが原始的の堀立小屋を作って雨露を凌いだものであった。北澤川は野呂川の支流故、前者を枝谷、後者を本谷と彼等仲間で呼んで居る。支流でさえも堀立小屋が二三造られてある。しかし是等は大雨の時には到底凌ぐことの出来ない程度のものである。 午後八時頃一同就寝。疲れたのでよく眠りに落ちた者あるが、夜中突風に驚かされて眼を醒ます。消えかかる榾火を繕っては寝るのであるが、時々生木から曝音を挙げて火の子が飛散し下敷の毛布や、テントに大きな穴をあけるのには閉口した。
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最終更新日
2021年04月14日 14時37分03秒
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