カテゴリ:甲斐駒ケ岳資料室
駒ケ岳 山の友達 駒ケ岳・仙丈岳・自嶺縦走-柳澤登山口 『日本南アルプスと自然界奥付』 昭和六年発行 流石英治氏著 甲府市朗月堂発行 一部加筆
第四日 七月三十一日 大風雨
午前四時起床、相変わらず風雨が烈しい。昨日私たちの一行より遅れて着いた伊那の教員とその子息 及人夫は、この大風雨をものとせず、信州人一流の勇敢な気性で北澤峠を越え、戸台に向って六時に出発した。風速は十二m位と思われる。白檜の密林に入っては一頻り立てて樹幹をゆり動かす、雨も可成り降り注いでくる。晴れるまで待つことにして滞在ときめる。朝起きてから人夫たちは炉端で登山客の人情があまりに薄い事を話し合っている。私は彼等に「軽井沢の友達」の話をしてきかせた、結局「山の友達」と「山の客」とは、山に於いて友誼と信頼と互助とを必要とし、後を引かぬ様に「あっさり」することが大切である。しかし、彼等は都人士の薄情で人夫を奴隷視する傾向を難じていた。自分の命を供託する人夫を愛し、其言をある程疫迄信じ、之を指導、愛撫し単なる雇傭関係と見ない處に、山岳登攀者の徳義が存している。 登山者は人夫を愛して、之を忠実なる然も欽で最良の案内を眼ざして教育して行く心持を持って接して貰いたいものである。多くの登出者は最近、此の事に就いて非常に自惚して来た事は喜ばしいが、一浦人夫をしで「山のμ随」ざして信頼し得る人に育てる事に留意してほしいものである。また、一面人夫も、あまり贅沢極まるブルの案内をした味をいつでも、如何なる登山容にも強娶せんごするが如き態度を改めねばなるまい。山の案内や人夫が、贅洋を甘んが認めに万一登山したならば恐らく容を罵倒し、其客嗇(物惜しみ)を攻撃する愚を繰返す結果になるであろう。 あまりに苛酷と冷淡と、寛大と親切さに、取扱う二組の登山客が存在するので、彼等は対比して偖こそこんな歎聲を洩らすのであろう。私はこんな心持の外に地理、博物等の知識について造詣深き登山家が、是等の人夫を実地に指導する事が大いに必要である事を痛感した。 水石春吉氏(現、武川村柳沢)にしても、また先年、私を金峰・甲武信の嶺線に案内した相山學而氏にしても、彼等は学問こそないが立派な室内者であった。今は老齢の認に引退したが、芦安の青木要望氏などは甲州の名案内ご言い得られよう。心掛けがよく、そのうえ客を愛して献身し、努力を厭わぬ点に於いて、私は彼等に「山の友達」として敬意を表する。湯島の中村宗平氏には惜しい哉、一度も遭遇する機会がないので、云々することが出来ない。水石の息子「寅夫氏」は温厚寡黙でよく働く、小池広海は恰俐でよく間にあったが、もっと修行をつんだならば、ひとかどの案内者となれるだろう。 「日光の勝さん」、「立山の平蔵」、「長次郎」達は日本で名うての山男であるが、甲州での山男は前掲の諸氏であろう。この他にも隠れたる剛の者が沢山存在して、甲州の山を紹介していることと思う。また、「両又の小屋」にも「農鳥岳」の小屋にも本年から、登山者人名簿が県山林課の試みによって置かれたことは進んだ企画として賛意を表するものである。惜しい事にはこの「北澤小屋」に見当たらないかった事である。それが為か壁といわず柱といはず、少しく白味がかった場所には、登山者の住所氏名がベッタリ書き列ねられている。この落書きを蒐集してみたが、信州や東京方面の登山者が多く、甲州人は至って稀である。尤も本県人は登山しても壁に落書きなど品の悪い事をしない認めでもあろう。 雨の中を熱心に昆虫や植物採集に出かけたり、又はアルミニュームの鍋に雨量を計ったりして熱心に調査研究を進めて居る。今回の企画が誠に有意蓑のものであり、一同が熱心にその職責を尽くした事は愉快である。不幸にも天は無情にも此の詰った山峡に三日間の潜在を与儀なくせしめて、我等の目的を阻止した事である。 山小屋の無聊(気が晴れない)を医する(心を癒す)ものは何物もない。自然の中に透入(通り抜けて入ること)して自然鑑賞をなす者にとって、俗悪なる里心を出さしめるものは、荒天の山小屋生活である。 柳澤の人夫のエンコ節と踊が一座を賑わせた。その地方色を遺憾なく表し、興味津々たるものがある。粘土節は釜無川の田圃中に、これは駒ケ岳の東山麓に生れた素朴の民謡である。暫く、民謡と踊とに興じたが、室内はもとの静粛に立ちかえり、トランプをしたり、寝転がったりしている。 こうした雨の日が幾日続くのであろうか。河水は二倍にも嵩んで来た。雲は濃く山峡か閉ざして、風は益々吹き荒んで来る。喰っては寝る、寝ては語り飽ればグツスリ寝込んででしまう。 やがて長い日も暮れて山頂灯のもとには銀色の翅が美しい、小豆色の斑紋した蚊が忍んできた、早々採集して管瓶に入れて保存した。虫集めの後は元の単調にかえったので早く寝につく。真夜中に突風が襲来して小屋の屋根を壊して大きな穴をあけた。雨が吹き込んで来て眼を覚まされ応急手当をする。七尺四方許り剥ぎとられたので、人夫共は大袈裟に騒ぎ立てて修理を終った。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年04月14日 14時36分24秒
コメント(0) | コメントを書く
[甲斐駒ケ岳資料室] カテゴリの最新記事
|
|