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2019年06月12日
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マニラ総督宛ての秀吉の書状 文禄三年(一五九四年) 

 

予が誕生の時、太陽が千の胸に(光を)与えたが、これは奇跡であり、これによって、予が東西にわたって君主となるべき人物であり、諸国はことごとく予に服し、予の門に来って屈伏すべきであることが判る。これを為さぬ者は戦いによってことごとく殺戮するであろう。予は既に日本全国及び朝鮮国を手に入れ、数多の武将がマニラを攻略に行く許可を予に求めている。これを知って原田(喜右衛門)と(長谷川)法眼は予に、『彼我の地の間には諸船の往来があり、それによって(マニラが)敵であるとは思えない』と言った。この道理によって予は(マニラヘ)軍勢を派遣することを思い留まったのである。

朝鮮の人々に対して彼らがその言葉を守らなかったので戦を始め、その首都までも獲得し、その後手の部下は彼らを救援にシナから来た無数のシナ人や数多の貴人を殺めた。(中略)彼らはかの地において(シナからの)使節を待っている。もし彼ら(シナ人)がその言葉を守らぬならば、彼らと戦うために予自ら出陣するであろう。

こうしてシナに到ればルソンはすぐ近く予の指下にある。予は我ら(日本とフィリピン)が永久に友交を保つことを希望する。これをカスティリャ王(スペイン)に書き送られよ。遠隔の地を理由にカスティリャ国王が予の言葉を軽んずることがないようにせよ。

  

【パステルス・松田欽一訳『日本・スペイン交渉史』】

 

〔返書〕

 

これを殿下(秀吉のこと)に申し上げる所以は、私たちがこの狭小な(フィリピン)にいようとも、私たちは強大で真実なる神、キリスト、及びキリスト教国王ドン・フェリーペ(フィリップ二世)以外の如何なる者にも、如何なる権力や君主にも服従せぬことを知っていただく為である。






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最終更新日  2021年04月14日 14時21分18秒
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