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2019年06月13日
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カテゴリ:日本と戦争

ノルマントン号事件 日本人二三名溺れ死ぬ

 

著者 池田敬正氏・佐々木隆爾氏

    『教養人の日本史(4)』社会思想社 昭和42年刊 一部加筆

 

 鹿鳴(ろくめい)館の踊りがたけなわの午前一時、紀州大高沖で沈没した船がある。

一八八六(明治一九)年一〇月二I日、横浜を出発して神戸に向かったイギリス汽船ノルマントン号である。暗礁に乗り上げたため船体は大きく裂け、浸水甚だしく、間もなく船は水中に姿を消した。イギリス人船長ドレイクはじめイギリス人水夫と給仕二五名はボートで難を避け、翌朝九時ごろ串本に辿りついて助かったが、日本人乗客二三名はことごとく溺れ死んでしまった。この事件ははからずも、領事裁判権がどんなものであるかを日本国民に広く知らせる役目を果たした。

神戸のイギリス領事の海事裁判所は一応ドレイク達を呼び、事情を聞いたが、ドレイクは、自分は日本人にボートに乗り移れと指図したが、日本人は英語がわからないので乗り移ろうとしない、やむなく日本人をそのままにして自分達だけで避難したのだと答えた。

イギリス領事は、この陳述だけでなんの調査もしようとせず、船長らが十分職責を果たしたという結論を下し、ドレイクを無罪とした。

この知らせが伝わると、国民の間から憤激の声が湧き起こった。義捐(ぎえん)金を集めて遺族に贈る者もあれば、海底の遺体捜査に参加しようと名乗り出る者もあり、新聞は連日、イギリスの非道横暴を非難する論説を掲げ、また当時の状況をくわしく報道した。

法学者や政治家たちも論文を書き、各地で演説台を開き、不平等条約を破棄しなければこのような悲劇はなくならないと民衆にうったえた。

鹿鳴館の舞踏台で条約改正ができると考えていた政府も、こうなっては捨てておくわけにいかず、兵庫県知事に命じ、ドレイクを神戸領事裁判所に殺人罪で告訴させた。

一一月一四日、つまり海事審判所が判定をくだして五日後のことであった。

イギリス側は神戸で予審を終え、横浜領事裁判所に移した。これほど明白な事件には、さすがの領事裁判所も無罪とすることはできず、一二月八日、ドレイクに懲役三ヵ月の判決を下した。

しかし罪名は殺人罪ではなく、職務怠慢にされてしまった。

この事件は国民に、条約改正を国民運動としてくり広げなければならないことを教えた。その運動がやがて「三大事件 建白運動」として現われる。

またこの事件に憤慨した国民は、無名作家の手になるノルマントン号沈没の歌を広く歌い伝えた。

 

岸打つ浪の音高く、

夜半の嵐に夢さめて、

青海原を眺めつつ、

わがはらからは何処ぞと、

呼べど叫べど声はなく、

尋ね捜せど影はなし。

……航海術に名も高き、

イギリス船と知るからに、

ついうかうかと果せられて……






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最終更新日  2021年04月14日 06時33分24秒
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