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2019年06月15日
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カテゴリ:日本と戦争

乙巳保護条約 一九〇五(明治三八)年

 

著者 池田敬正氏・佐々木隆爾氏

    『教養人の日本史(4)』社会思想社 昭和42年刊 一部加筆

 

一九〇五(明治三八)年一一月一七日の韓国宮廷。居並ぶのは、参政太臣韓主咼、外務大臣朴斉純以下李完用、李址鎔、李根沢、権重顕らの各大臣。伊藤博文が中央にすわっている。

「賛成か反対かの意見を訊くから明答せられたい」

とは伊藤が促した。韓圭高は絶対に反対だといって泣き出した。

「余り駄々を訃ねる様だったら殺ってしまえ」

との伊藤の声に、李完用以下の五名は積極的に賛成論をとなえ、討議は終わった。

翌日午前一時、条約は調印された。「乙巳保護条約」はこうして成立したのである。    

日露戦争が始まった直後、ロシアの軍隊に奇襲をかけると同時に、日本政府は朝鮮に「日韓心議定書」を押付けた。それには、日本政府が

「大韓帝国ノ独立及領土保全ヲ確実ニ保証スル事」と、朝鮮の「保護国」化がうたわれていた。日露戦争後、ポーツマス会議で、日本の朝鮮に対する独占支配を列強が認めると、日本政府はその具体化を急いだ。林権助公使がソウルに軍隊を配置し、伊藤博文の到着を待った。

一一月九日にソウルに着いた伊藤博文の一行は、韓国皇帝に天皇の親書を示し、外交権を日本に渡すよう迫ったが、同氏の反対を恐れた皇帝は言を左右にして承諾しない。皇帝が閣議の意見に従うと発言したのを機会に、伊藤は一七日の閣僚会議を開いたのである。宮廷のまわりでは一週間前から、日本車が剣つき銃を手に行進したり、大砲をひき出したりしていた。

すでに日韓議定書が成立した直後、日本政府は、朝鮮併合の方針を決定し、それを実現するため、漸次、国防・外交・財政にたいする監督権を確立し、交通・通信機関をにぎり、産業を交配することを予定していた。乙巳保護条約の成立は、それを公然と進める契機となった。






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最終更新日  2021年04月14日 05時52分56秒
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