カテゴリ:神さま・仏さま
阿若憍陳如 あじゃくきょうちんにょ
「仏遺教経」に、釈尊が始めて救世の大業を徹見成就して、 劈頭第一説法をした。しあわせ者は実にこの陳如である、 とある
陳如は、釈尊の従者であったとともに、また修業中のよい相棒でもあった。 若き釈迦、示達太子のお供を他の朋輩五人と供に仰せつかった。いよいよ忽達太子が加毘羅城をぬけ出して、雪山から諸所をまわり苦行の道に行かれた。陳如君もはじめは示達太子を叱咤、激励して神妙に供をしたが、そのうち逃げ出してしまった。 しかし、修業一途の太子が、大いに修練の功を積んでいることがわかり、自分もこの人こそ師であるとし、立還って前後六年の間苦行に随従した。陳如先生の面目躍如たるものがあります。 いよいよ、太子三十五歳の十二月八日の晩の星を見て「鳴子奇なるかな」と太詩人の言をはなったのです。太子が自ら大悟したのはこのときです。陳如先生の忠勤ぶりはまことに堂に入ったもの、信用を得なければならなかったのです。 われこそは釈尊第一の高弟にならんと願ってはいたが、齢は他門弟より上だが、お脳の方はそれほどではなかったといいます。釈尊最初の済度者というのをその看板として今もなお伝えられている幸運児です。
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最終更新日
2021年04月13日 13時04分39秒
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