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2019年07月03日
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カテゴリ:山梨の歴史資料室
甲斐年表2(700~803)



☆持統天皇、在位(690~697)

☆文武天皇、在位(697~707)



○文武4年(700)3月17日【続日本記】

…即位四年三月、令諸国定牧地放牛馬。

(諸国に命じて牧馬の地を定め。牛馬を放牧させた。)



○大宝1年(701)4月8日【続日本記】

…大宝令、二十三 厩牧令発布(詳細別述)。



○大宝1年(701)12月22日【福岡県西区桑原字戸山。元岡遺跡郡。出土木簡】

…大寶元年辛丑十二月廿二日

…□□□□□鮑□□□代税

…官川内黒毛馬胸白



○大宝2年(702)【日本書紀】《瑞祥神馬》

…飛騨国が神馬(じんめ、瑞祥を備えた馬)を献じた。その為に天下に大赦をした。

(略)その国の目(さかん)以上の国司と祥瑞をを出した郡の大領には位一階を進め、禄

を授けた。人民には三年間の賦役を免除、合わせて庸を半減した。



○大宝2年(702)7月10日【日本書紀】《瑞祥神馬》

…美濃国大野郡の神人大(みわひとのおお)が、蹄の八つある馬を献上したので、稲千束

を与えた。



○慶雲1年(704)5月10日【日本書紀】《瑞祥神馬》

…備前国が神馬を献上した。宮中の上に慶雲があらわれ、大赦をし元号を慶雲と改めた。

調(みつぎ)を免除し位階を進め、物を与えた。



○慶雲2年(705)11月13日【続日本記】《騎兵》

…新羅からの使者を迎えるために諸国より騎兵を挑発した。



○慶雲3年(706)10月15日【続日本記】《騎兵》

…天皇の乗物に随行した騎兵六百六十人の調庸田租を免除。続日本記



☆元明天皇、在位(707~715)



○慶雲4年(707)3月26日【続日本記】《駒、押印》

…給鐵印于摂津・伊勢等廿二国使印牧駒犢。

…鉄の印(焼印)を摂津・伊勢など二十三カ国に与え官営の牧馬の駒と小牛に押印した。



○和銅4年(711)~霊亀(716)

…『山梨県考古学論集 』村石眞澄氏著、所載。

…「甲斐の馬生産の起源」…塩部遺跡SY3・SY4方形周溝墓出土のウマ歯から‥

 (略)8世紀前半の資料としては長屋王邸跡から出土した木簡群の中に、甲斐と馬の関

係を物語るきわめて重要な木簡6点が存在し(原2002山梨県2001)その中の1点

には次のように記されている。

……表…御馬使信濃-□甲斐-上野二口右

……裏…四米四升五月二日「受板部…黒万呂」

※原正人(1995)によれば、「馬司」は長屋王邸に属する家政機関の一つで、邸内の

厩舎で馬の飼育を任務としたとされる。馬司には甲斐・信濃・上野などの出身の専門職員

が複数人おり、木簡はいずれも一人あたり一升の米を請求し、支給を受けた際の帳簿とし

て使用されたものらしい。長屋王邸跡出土の紀年木簡の年代幅は、711~716年に限

定されるという知見から、この時期に甲斐など 三国にはすでに御牧の前身にあたるよう

な牧が存在し、良馬の生産として知られていたため、朝廷や有力貴族のもとで、その専門

技術を生かして馬の飼育に従事していた専門職員が存在していたと推定している。



《参考》

…奈良文化財研究所の「木簡デ-タベ-ス」によれば、甲斐関係の木簡として次の物を挙

げている。



●本文……………………………………………………………形式番号 出展

 □「甲斐国」山梨郡 ……………………………………039……平城宮1-14

 「甲斐国」山梨郡雑役胡桃子-天平寶宇六年十月………031……木研1-56頁

 「甲斐」山梨郡雑役胡桃子-天平寶宇六年十月…………031……平城宮1-20

 大井里人………………………………………………………6039…飛5

  依私改度不破関往本土甲斐国戸人麻呂=………………081……木研10-91頁

  泉伊勢参河近江甲斐下総常陸【「」小野朝臣人公】…081……平城宮4-4199

  斐国山梨郡加美郷丈部宇万呂六百天平寶宇八年十月…019……木研9-118頁

 表…御馬司信濃…口甲斐…口上野二口右…………………011……城21-21上

…裏…四米四升五月二日「受板部黒万呂」

 表…馬司帳内甲斐常石…廣末呂…右四人米………………081……平城宮2-1916

…裏…〈〉受赤人十一月九日…稲虫書吏

 表…馬司甲斐二人*上*野四人六人………………………081……平城宮1-295

…裏…米一斗二升十月十二日「大島」

 表…馬司帳内甲斐四口米四升………………………………019……平城宮2-1917

…裏…受勝麻呂十月廿四日石嶋書吏…………………………081

 表…馬司上野二口甲斐四口…右六口米六升受 …………6011…平城宮1-297

…裏…「馬馬郡馬馬馬分…右京馬…」(全体に重書)

 甲斐国山梨郡…………………………………………………081……城31-27上

 国都……………………………………………………………091……城33-22上

 国都……………………………………………………………091………33-22上

 大乃年料米五斗………………………………………………011……長岡京2-783

 大乃……………………………………………………………019……長岡京2-784

 大野郷小田村里舎人部石足…………………………………033……城24-31上

 加美里物部色布知簀一枚……………………………………031……城31-32上

 大乃……………………………………………………………091……長岡京2-785

 茂郷五斗………………………………………………………030……城34-10下

 甲斐……………………………………………………………6091…平城宮5-6703

 甲斐……………………………………………………………6091…平城宮5-6704

 大乃白米………………………………………………………011…木研22-35頁-2

 大井里委文部鳥〈〉米五升…………………………………032……白37-26下



●平城京出土木簡

……………………………甲斐国

…依私故度不破関往本土………人□万呂□□

……………………………戸□□



○和銅7年(714)11月11日【続日本記】《騎兵》

…新羅使節を迎える為に、機内七道から騎兵九百八十騎を徴収。



☆元正天皇  在位(715~724)



○霊亀1年(716)2月2日【続日本記】《牧の廃止》

…摂津国に命じて、大隅・姫島の二つの牧を廃止させ、人民が水田をつくり食料を増やす

ことを許した。



○霊亀1年(716)5月16日【続日本記】《高麗人》

…甲斐国など七カ国の高麗人を武蔵国に移して高麗国を置く(1799人)



○霊亀1年(716)8月14日【続日本記】《献馬》

…出羽と渡島(北海道)の蝦夷八十七人が、馬千疋を献上。



○この頃か【長屋王邸木簡】《甲斐舎人》

…甲斐国出身の舎人が、平城京の長屋王邸の馬司出仕し、食米を受け取る。



○養老2年(718)【万葉集】《富士山噴火》

…高橋連虫麿の歌…もゆる火を雪もて消ち(略)



○養老2年3年(719)7月13日【続日本記】《按察使》

…按察使を設置。駿河・伊豆・甲斐は大伴宿禰に管掌させた。



○養老3年(719)閏7月7日【続日本記】《新羅騾馬(らば)》

…新羅の使節が調物と騾馬の牡牝一匹を献上した。



○養老5年(721)1月1日【続日本記】《甲斐、白狐》

…甲斐献上。甲斐国が白狐を献上する。



☆聖武天皇、在位(724~749)



○神亀1年(724)4月14日【続日本記】《騎兵》

…坂東の九カ国の兵士三万人に、乗馬、射術をさせ、布陣の仕方を訓練させた。



○神亀4年(727)5月5日【続日本記】《騎射御覽》

…天皇は甕原(みかにはら)離宮南の野の高台に出御して、飾りをつけた騎兵の騎射を御覽

になった。



◎天平3年(731)12月2日【続日本記】《甲斐神馬》

…甲斐国が神馬を献上した。体は黒でたてがみと尾が白かった。



◎天平3年(731)12月21日【続日本記】

◆甲斐国守…田辺広足。在任。



◎天平3年(731)12月21日【続日本記】《詔》

…朕は君主として全国に臨み、すべての人々をはぐくみ、日が傾くまで食事をとることも

忘れ、夜は寝るのに床をのべるのを忘れるほどである。ここに治部卿で従四位上の門部王

らが奏上していうのに「甲斐国守で外従五位下の田辺史広足らが進上した陣馬は、体は黒

色で白いたてがみと尾があります。謹んで符瑞図を調べてみると、

『神馬は河の精である』とあり、また援神契(孝経)には『徳が山や 岡の高きに達する

時、神馬が現れる』とあります。これはまことに大瑞というべきです」と。しかしこれは

朕の徳によるものではない。祖先や国の守り神の賜ったものである。不徳の朕がどうして

一人でこれを受けるべきであろうか。天下の人々と共に悦べば、天意にかなうであろう。

…そこで天下に大赦して、孝子・順孫・高齢者・男女のやもめ・みなし子・独居の老人で

自活のできない者に恵みを与えよう。馬を獲た人には位を三階昇進させ、甲斐国の今年の

庸と調を免ずる。甲斐国の国司および史生以上の者と、瑞を獲た者に、地位に応じて物を

賜った。



《筆註》…甲斐から献上された神馬(じんめ)は当時の吉祥の一つとして進上された。甲

斐国以外にも進上した国があり、それは年譜の中に掲載してある。また新羅国からの献上

された貢ぎ物の中に馬も見える。



○天平4年(732)5月19日【続日本記】《献馬》

…新羅使の金長孫が天皇に拝謁し、おうむ一羽・くこく一羽・蜀犬一匹・驢馬二頭・騾馬

二頭を献上。



○天平5年(733)【山背国愛宕郡計帳】《馬飼》

…坂馬養造鯖売。



◎天平10年(738)4月22日【正倉院文書】

…甲斐国司 丹比乙万呂



※【『正倉院文書』「天平十年駿河国正税帳」】

……………………上一口

…従甲斐国進上御馬部領使山梨郡参事小長谷部麻佐六郡別一日従一口

……………………上六口

…食為単壱拾弐日

……………………従六口



※【大日本古文書】

…………………………………上一口………………………………上六口

…山梨郡散事小長谷部練麻呂………六郡別一日食為單壹貳日

…………………………………下一口………………………………下六口

《筆註》…甲斐国より進上の御馬の部領使である山梨郡散事小長谷部麻佐とその従者は、

一日一郡の行程で、その路次にあたる駿河六郡から糧秣の官給を受けて、平城京を目指し

て御馬を牽き挙がっていった。この時の御馬の様子や頭数は明らかではないが、甲斐の貢

馬の実態を知る資料となる。小長谷部は御馬部領使で山梨郡散事であり、三御牧を想定す

る巨摩郡ではない。巨摩の地名の最初の登場は天平勝宝四年(752)の巨麻郡青沼郷

で、天平宝宇五年(762)の記事中の巨麻郡栗原郷の人と続く。



○天平10年(738)1月1日【続日本記】

…信濃神馬、総身が黒色で、たてがみと尾の色が白色であった。



○天平13年(741)12月10日

◆甲斐守…従五位下。馬史比奈麻呂



☆考謙天皇、在位(749~758)



●天平勝宝四年(752)4月9日【正倉院文書】

…巨摩郡青沼郷の人物高嶋が出した調が、東大寺大仏開眼供養の際、舞楽の伎楽面を収納

する袋の裏裂として使用される。



○天平勝宝四年(752)6月25日【正倉院文書】

◆甲斐国目…桑原足床、云々。  



○天平宝宇1年(757)11月12日【尊勝院文書(『日本の荘園』)

…田地経営の為の用水工事の計画書(詳細)別項。   



☆淳仁天皇 在位(758~764)



○天平宝宇4年(760)6月25日【正倉院文書】

◆甲斐目…桑原足床。在任。



○天平宝宇5年(761)12月23日【正倉院文書】

◆甲斐守 従五位下。山口左美(沙弥)麻呂。補任。

◆甲斐目…小治田(名欠)。在任。

◆甲斐員外目…桑原足床。在任。



☆称徳天皇、在位(764~770)考謙天皇重祚。



○天平宝宇8年(764)10月20日【続日本記】

◆甲斐守…坂上刈田麻呂従四位下。補任。

…甲斐守山口左美麻呂解任、恵美押勝の乱で功績のあった坂上刈田麻呂が中衛少将のまま

甲斐守兼任。



○天平宝宇8年(764)10月【続日本記】

《用銭》

…甲斐国山梨郡加美郷の丈部(はせつかべ)宇万呂の用銭六百文が、都に送られる。



○天平神護1年(765)1月7日【続日本記】

◆甲斐守…坂上刈田麻呂、勳二等を授けられる。



○天平神護1年(765)2月3日【長野県史、通史】

《内厩寮》…天皇直轄の内厩寮が新設、諸国の牧を管理する。



○天平神護1年(765)5月【続日本記】《播磨国賀古郡の人、馬養造人上》

…先祖の吉備津彦の苗裔、上道臣息長借鎌が仁徳天皇の時代に播磨国賀古郡南野の居住。

六世の孫、牟射志がよく馬を飼うので、聖徳太子に仕え、馬司に任ぜられたために、庚牛

の年造籍の日に誤って馬養造に編せられてしまった。



○天平神護1年(765)6月1日【続日本記】

◇甲斐国飢饉…これを賑給する。



○天平神護1年(765)7月14日【続日本記】

◆甲斐員外目…丸部宗人。在任。



○天平神護1年(765)8月16日【大日本古文書】

…馬 登人夷人、大和国大目に署名。



○天平神護1年(765)9月18日【続日本記】

…右京の人正八位下、馬 登中成ら共に厚美連の氏姓を賜る。



○天平神護1年(765)12月5日【続日本記】

…右京の人、外従五位下、馬 登国人ら四十四人と武生連の氏姓を賜る。

【万葉集4458】

…河内国、伎人郷の人馬司史国人。



○天平神護2年(766)2月21日【続日本記】

◆甲斐守…坂上刈田麻呂が恵美押勝の乱を鎮圧し功績として功田二十町を与えられる。



○神護景雲2年(768)5月28日【続日本記】

◇八代郡の人…小谷直五百依、孝を以て終身田税を免除される。



○神護景雲2年(768)10月15日【続日本記】

◆甲斐守…坂上刈田麻呂、従四位に。



☆光仁天皇、在位(770~781)



○宝亀1年(770)5月9日【正倉院文書】

◆甲斐守…坂上刈田麻呂。在任。



○宝亀1年(770)8月1日【続日本記】

…日蝕のために若狭から赤毛馬二疋を伊勢大神宮。鹿毛馬各一疋を若狭彦神・八幡神宮。



○宝亀1年(770)9月16日【続日本記】

◆甲斐守…豊国秋篠真人。従五位下。補任。

…坂上刈田麻呂-陸奥鎮守将軍になる。



○宝亀1年(770)10月23日【続日本記】

◆甲斐守…豊国秋篠-甲斐守のまま治部大夫に。



○宝亀3年(772)4月20日【続日本記】

◆甲斐守…栗田鷹守…正四位下。衛門佐。補任。

◆甲斐掾…山上船主…五位下。陰陽助



○宝亀4年(773)1月23日【延喜式】《厩牧令》

…凡在牧失官馬牛者。竝給百日訪覓。限満不獲。各准失處當時沽價。十分論。

七分徴牧子。三分徴長帳。闕乏乃身死。唯徴見在人分。



○宝亀9年(778)3月10日【続日本記】

◆甲斐守…葛井連道依。従五位下。在任。中衛少将。



○宝亀11年(780)3月17日【続日本記】

◆甲斐守…山上船主。従五位上。補任。陰陽頭天文博士。



☆桓武天皇、在位(781~806)



●天応1年(781)7月6日【続日本記】

…富士山噴火…駿河国言す。富士山の下に灰をふらす。灰の及ぶ所は木葉彫萎すと。

〔噴火地点…静岡側。噴火様式…火山灰。小川考徳氏調査発表〕



○天応1年(781)10月16日【続日本記】

…甲斐国…甲斐など五カ国の十二人が私力で軍粮を陸奥国に運んだ功績で位階を授けられ

る。



○延暦1年(782)閏1月17日【続日本記】

◆甲斐守…藤原内麻呂。従五位下。補任。大納言真楯三男



○延暦2年(783)閏1月【大鏡裏書】

◆甲斐守…(~延歴4年)



○延暦3年(784)4月30日【続日本記】

◆甲斐守…紀豊庭。従五位下。補任。



○延暦3年(784)11月11日【続日本記】

…遷都…桓武天皇、長岡京に遷都。



○延暦8年(789)3月16日【続日本記】

◆甲斐守…大伴王。従五位下。補任。桓武天皇第三子。



○延暦8年(789)6月9日【続日本記】《改姓》

…甲斐国、請願により渡来人山梨郡の人、要部上麻呂・古爾鞠部・解礼らの本姓を田井

玉井・大井・中井に改姓する。



○延暦10年(791)7月4日【続日本記】

◆甲斐守…橘安麻呂。従五位下。補任。



○延暦13年(794)5月24日【続日本記】

…甲斐国…白鳥二羽を献上する。



甲斐 延暦 15年  796 10月22日【類聚三代格】

…太政官符…諸国貢繁飼馬牛事。

…右被大納言正三位紀朝臣古佐美宣□。奉勅。諸国 貢馬牛。或年齢過老。不中乗用。

或疲痩殊甚。不似御馬。加以貢上違期。惣為緩怠。此則 司檢領 方。国司繁飼不勤之

 致也。宜仰 司。馬五六歳牛四五歳為限令貢。



○延暦16年(797)3月2日【日本後記】《甲相国境》

…使を遣わし甲斐・相模の国境争いを裁定、都留郡都(鹿)留村東辺、砥沢をもって領国

の境とする。



○延暦18年(799)6月7日【長野県史、通史】《信濃御牧》

…官符を下して牧監を創設し、信濃国牧監に埴原牧田六町を公廨田として給する。



○延暦18年(799)7月28日【日本後記】《宇 肥伊牧》

…停大和国宇 肥伊牧。以接民居損田園也。



○延暦18年(799)12月5日【日本後記】《改姓》

…甲斐国、百済系渡来人止彌若虫・久信耳鷹長ら百九十人石川・広石野姓を与える。



○延暦19年(800)3月14日【日本後記】《富士山噴火》

…駿河国言、去りぬる三月十四日より四月十八日まで、富士山の巓自ら焼く。昼は即ち烟

気暗瞑にして、夜は即ち火光天を照らす。其の声雷のごとく、灰ふること雨の如し。山下

の川水皆紅色なりと。

〔噴火地点…静岡側 噴火様式…火山灰・溶岩流 小川考徳氏調査発表〕



○延暦19年(800)5月22日【日本後記】《甲斐蝦夷》

…甲斐国に住居する蝦夷が乱暴を働き、朝廷は国司に対して教喩と法的処分を命じる。



○延暦21年(802)1月8日【日本後記】《富士山噴火》(実際の噴火は20年)

…是の日、勅すらく、駿河・相模国言す。駿河国富士山、昼夜  、砂礫霰の如してへ

り。之を卜筮の求むるに、占いて曰わく、ここに疫ありと。宜しく両国をして鎮謝を加

え、及び経を読み以て災殃を攘わしむべしと。

〔噴火地点…静岡側 噴火様式…火山灰 小川考徳氏調査発表〕



○延暦21年(802)1月11日【日本記略】《甲斐浪人》

 甲斐など十か国の浪人四千人を陸奥国沢城に移す。



○延暦21年(802)5月19日【日本記略】《足柄路廃》

…延暦廿一年五月十九日、相模国足柄の路を廃して、箱根の途を開く。富士の焼け砕きた

る石、道を塞ぐを以てなり。



○延暦21年(802)8月14日【日本記略】《諸牧課欠駒》

…諸牧の課欠については、必ず担当者を処罰し、馬を弁償させることを、甲斐など諸国に

命じる。



○延暦22年(803)3月9日【日本記略】《諸牧課欠駒》

…諸牧の課欠の駒については、馬の徴収をやめ、かわりに駒一頭ごとに代価の稲四百束を

徴収する事が、甲斐などの諸国に命じられる。



○延暦22年(803)5月8日【日本記略】

…延暦廿二年五月八日、相模国箱根の路を廃して、足柄の旧路を復す。



☆雑録☆

「奈良~江戸期に起きた富士山噴火」

山梨県文化財保護審議委員 小川考徳氏発表(山日2001、3、10)抜粋。

…小川さんによると、古文書に記載、確実に噴火があったとされる富士山噴火は、奈良時

代から江戸時代のかけて計九回。このうち八六四(貞観六年)一七0七(宝永四年)の二

つは既に噴火地点が判明していたが、平安期に起きた残りの噴火七回についてはよく分か

っていなかった。

…小川さんの調査方法は津屋さん(元東大地震研究所長)が手掛けた富士山の地質図を基

に、各地点在する噴火口近くの溶岩流や溶岩樹型から木炭を採取し。炭の中に含まれる放

射性炭素の減り具合を調べることで噴火の時期を絞り込んだ、その上で古文書の内容と照

合して噴火地点を特定した。(略)



○山梨県側の噴火

937(承平七年)……火山灰と溶岩流を伴った噴火。

1032(長元五年)…火山灰と溶岩流を伴った噴火。

1083(永保三年)…火山灰と溶岩流を伴った噴火。



○静岡県側の噴火  

781(天応元年)……火山灰だけの噴火。

800(延暦十九年)…火山灰だけの噴火。

801(延暦二十年)…火山灰と溶岩流を伴った噴火。

999(長保元年)……火山灰と溶岩流を伴った噴火。

864(貞観六年)……青木ヶ原樹海を形成したこの噴火は当初、南都留郡鳴沢村・長尾

……………………………山火口から噴火したとされてきたが、その他に十カ所の噴火口が

……………………………あることを突き止めた。





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最終更新日  2021年04月12日 16時49分52秒
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