カテゴリ:日本と戦争
学校教育 朝鮮人の受難
朴慶植氏著 一部加筆 学校教育では一九三六年三月新朝鮮教育令によって、それまでわずかな時間ながら正課であった朝鮮語が随意課目に変更され、それに代わって日本語教育の徹底、教授用語の日本語使用が規定され、朝鮮語は実質上学校の教科目から排除されていった。 学校では児童生徒が日本語を使わなかった場合、罰金までもとるようなことをして「国語常用」を強制し、成績優秀な児童がうっかり朝鮮語をしゃべったばっかりに落第し、朝鮮人教師が日本語のわからない父兄を相手に朝解語を使用して他校に左遷させられることさえもあった。 学校教育は教育勅語の趣旨に沿い、 国体明徴、 内鮮一体、 忍苦鍛錬 の三大綱領のもとに天皇に忠良な皇国臣民の育成につとめ、民族的なもの、自由主義、共産主義的なものを根こそぎなくし、 「一身一家をあげて陛下の御楯となり、大日本帝国のため、東洋平和のためにつくす」 という内容の教育を行った。 朝鮮総督府は皇民化政策の仕上げの一つとして朝鮮民事令を改正(一九三九・十一)して民族固有の姓名制を日本式の氏名制に改める、いわゆる「創氏改名」を行った。 総督府当局は、官憲を動員して創氏を強要する一方、創氏を行わないものに対しては社会的制裁や圧迫を加えた。たとえば、創氏しない家の子弟に対し各級学校への入学・進学や、官庁・役所関係の就職を拒否したり、また創氏しないものは「不逞鮮人」とし、独立を企図しているものとして監視対象者にしたりした。そのため創氏改名の強要に抗議自殺をするものや、おかしな氏名をつけて意識的にそれを批判・風刺をするものも現われた。 たとえば、「火糞會衛」「犬馬牛豚」「南太郎」(総督南次郎に比喩して)などがそれである。しかし創氏改名の強制は朝鮮人民の民族的主体性が失われていく重要な契機をなした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年04月12日 05時29分30秒
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