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2019年08月19日
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カテゴリ:日本と戦争
朝鮮人の受難 志願兵・徴兵制の施行
 朴慶植氏著 一部加筆

日本は戦時兵力の不足を補うため、朝鮮人にも天皇の兵隊としての栄誉を与えるとし、志願兵・徴兵によって多くの壮丁を戦線に送りこんだ。一九三八年に陸軍特別志願兵令、一九四三年に海軍特別志願兵令を公布し、二万三千余人を志願兵の名のもとに徴発し、
さらに一九四四年には徴兵制を実施し、四五年にかけて二十万九千余人を戦線に狩りたてた。
 これ以外に陸海軍要員(軍属)として、軍需物資の輸送、飛行場建設、俘虜監視員などに十五万余人を動員した。これら軍人・軍属のなかからは多くの死傷者を出し、未帰還を含めて約十五万人にも上っている。
また英・米・蘭俘虜収容所の監視員となった朝鮮人軍属のなかには、日本敗戦後、連合軍側によって俘虜虐待の罪を問われ、死刑を含む重刑に処せられたものが一三二人に上った。これは事実上の虐待の責任者である日本人将校が姿をくらましたため、最末端の朝鮮人軍属に責任が転嫁させられたケースが多かったからである。そのなかの一人B・C級戦犯となった洪起聖の手記を紹介しよう。
  
…………思ひだしても何の慰めるところもない、いまわしい過去、都合のよい時には日本人と呼ばれるかと思えば、そうでない時には朝鮮人と軽蔑され、またある時には軍人として持ち上げられるかと思えば、ある時には軍属傭人として恥かしめられながら、ともかくも当時の日本が理想とするところのみを見つめさせられる厳しい命令のままに、日本のためにつくしてきた過去が私たちにとって最も苦しい思い出となったこと、従って私たちとしては一刻も早くそのような過去を自分の身辺から振り落してしまいたかった。
……のような状態で絞首台上に曳かれていった友人のことを思えば、その霊は文字通り宙に迷っているのではないかという感じがします。)(拙著前掲書)





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最終更新日  2021年04月12日 05時27分40秒
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