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2019年09月21日
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関東大震災 朝鮮人暴動説は??
  
山田昭次氏著 『歴史地理教育』3月臨時増刊号3 1986-№395 
 
どの教科書でも「大震災の混乱のなかで『朝鮮人暴動』のデマが流され……」といったふうになっていて、誰がデマを流したのかは明確に書いていない。
ところが事件当時はデマを流した人間は意外と明らかであった。
 一九三二年十月二十五日、東京府本郷区の区会議員と同区自警団代考が本郷小学校に集まった。警察官が朝前人暴動のデマを流した責任を棚上げしておいて、自警団を検挙したことに抗議するためである。曙町田村代表はつぎのように報告した。
 「九月一目夕方曙町交番巡査が自警団に来て、『各町で不平朝鮮人が殺人放火をして居るから気をつけろ』と二度通知に来た外、翌二日には警視庁の自動車が。不平朝鮮人が各所に於いて暴威を逞うしつつあるから各人注意せよ」との喧伝ビラを散布し、即ち朝鮮人に対し自警団基地暴行を行うべき原因を作つたのだ。」(『報知新聞』一九二三年十月二十九日)

 同じころ、関東自警同盟がつくった檄文にも同じような事実が指摘されている。
「心ある言は胸に手をあてて考へよ。災害の当時彼等我等に告げて『某々方面より襲来の虞れあり。
男子は武装せよ。女子は避難せよ。鮮人と見れば倒しても差支えない。主義者と判らば殴っても宜い。
彼等は兇器を携へて到る処に殺人・強盗・凌辱・放火・投毒等あらゆる悪事を働いている』
とふれ廻ったのは何者であつたか。

 当局はこれを横浜に強盗を働いた某々(山口正憲------引用者)等の宣伝であるといいも、直接我等に伝へたものは正しく詰襟の(警察------引用者)官吏であった。」(『報知新聞』一九二三年十月二十三目)
  
県、郡、町村から流された暴勧説
 暴動のデマは警察が散布しただけではない。県が郡、町村を通じて流した(新聞が企画にデマを流した役割は大きいが、紙数に限りがあるので、『関東大震災期朝鮮人暴動流言をめぐる地方新聞と民衆』(「朝鮮問題」懇話公刊)にゆずる。その証拠が最もはっきりしているのが埼玉県である。その証拠をあげよう。
  
庶発第八号 大正十二年九月二日 埼玉県内務部長
  郡町村長 宛
   不逞鮮人暴動に関する件  移牒

今回の震災に対し、東京に於いて不逞鮮人の盲動有之、又其間過激思想を有する徒らに和し、以って彼等の目的を達せんとする趣及聞漸次其の毒手を振はんとするやの惧有之候に付いては、此の際町村当局者は、在郷軍人分会消防隊青年団等と一致協力して、其の警戒に任じ、一朝有事の場合には、速かに適当の方策を講ずる様至急相当御手配相成候度、官兵筋の米牒により、此段及移牒候也」(吉野作造[朝鮮人虐殺事件])
 [礼節の来牒]とは内務省の通達以外に考えようがない。この年十二月十八目の永井柳太郎の国会質問演説によると、九月二目に埼玉県地方課長に内務に行って打合せ、その日のうちに帰って同県香坂内務部長に報告し、香坂は各郡役所に右の文を電話させたのである。
  
デマ流布の責任を隠した官憲
 流言の発生源については、朝鮮人差別観を持っていた民衆とする松尾尊兄兊氏の説と、権力が予断に基づいて流布したとみる姜徳胡氏や斎藤秀夫氏の説がある。誰が最初にデマを流したが、これを確証する記録は今日まで発見されていない。だが、私は権力犯罪の臭いを強く感ずる。なぜならば、権力が権力の流言散布の責任を明らかにしようとする動きを徹底的に抑圧し、かつデマの温存に努めたからである。
 『報知新聞』は官憲のデマ流布責任を追求する記事を何回も掲載したが、同紙は一九二三年十月二十六日に内務省の記事差押えに対しつぎのように抗議した。

「廿五日、本紙朝刊第二阪以下は、神奈川県に於ける警官の非行を摘発したる故を以て全部其筋に差押へられました。(中略)近時内務当局の新聞に対する態度は横暴といわんより寧ろ凶暴に近く、いやしくも内務関係の官吏の非違に関する事項を掲載すれば、彼の野蕃極まる新聞紙法を適用し、一日の中同業各紙中のいづれかは必ず禁止の厄に遭ふ有様である。」
 
ここで言う「警官の非行」とか「内務関係の官吏の非違」とは、警察官が暴動百万を散布したことを指すのであろう。
 また朝鮮人虐殺を行った自警団に対する公判では、裁判所はデマを流布した官憲責任者に対する弁護士の喚問要求を却下した。たとえば埼玉県圭圧朝鮮人虐殺事件公判では前記移牒を発した香坂その他責任者の喚問は保留となり、群馬県藤岡の朝鮮人虐殺事件公判でも自警団結成を命じた多野郡長や藤岡警察署長の喚問は却下となった。彼らを喚問請求は内務省の責任まで明らかになるおそれを感じて裁判所は喚問請求を拒否したのであろう。
 朝鮮人暴勧説がまったくのデマであることが判明したのちも、官憲はデマを維持することに努めた。
一九二三年九月五日付救護事務局警備部の文書「朝鮮問題に関する協定」には、朝鮮人虐殺事件についての宣伝方針がつぎのように定められている。

第二、朝鮮人ノ暴行又ハ暴行セムトシタル事実ヲ極力捜査シ、肯定ニ努ムルコト 尚左記事項ニ勢ムルコト
 イ、風説ヲ徹底的ニ取調べ、之ヲ事実トシテ出来得ル限り肯定スルコトニ勢ムルコト
 ロ、風説宣伝ノ根拠ヲ充分ニ取調フルコト(中略)
 第七、海外宣伝ハ特ニ赤化日本人及赤化鮮人背後ニ暴行ヲ煽動シタル事実アリクルコトヲ宣伝スルニ努ムルコト」
 これは予断に基づいてデマを流した国家権力が、その責任を隠すために行おうとしたでっちあげ工作であると見ることができよう。(山田昭次氏 著)

とある。明治三十九年(一九〇六)九月六日付を以て、国宝に指定された、阿禰陀如来及び両脇侍像三躯二組は、千塚村の光増寺と北宮地村の大彿堂から移したものである。





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最終更新日  2019年09月22日 11時48分52秒
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