2314608 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2020年05月31日
XML

〔芭蕉の生涯 新風のなかで〕
 

あたかもその時、俳諧史は展開期に際会していた。

貞門俳諧の退屈なマンネリズムは、もはや新しい作家達の関心を繋ぎとめることはできなくなった。もっと無遠慮な、荒唐無稽な非合理の中に放笑を求めるような新風がおこり、それが非常な勢で俳壇を風扉した。

新風は文壇の長老、大阪天満宮の連歌宗匠西山宗因を担ぎ上げて大阪でおこった。「貝おほひ』を奉納した次の年、寛文十三年には、西鶴が『生玉万句』を興行刊行して、新風の峰火をあげ、その異風の故に「阿闘陀流」とよばれた。翌延宝二年には宗因の書の百韻をめぐって保守派からの攻撃があり、宗因流の方からは、翌三年に論客岡西惟中が登場してこれを反撃、さらに惟中の『俳譜蒙求』が出て、新風はあらたな俳論的根拠を得ることになる。
 
すなわち、無意味の中に俳諧があるという奔放な詩論が生れる。そしてこの年宗因の東下によって江戸俳壇にも宗因流が導入されることになるのであるが、この五月深川大徳院で興行された宗因を迎えての百韻には、「宗房」を「桃青」と改めた芭蕉も、幽山・信章(素堂)などとともに、一座している。
 
翌四年春、山口信章と二人で興行した天満宮奉納の二百韻では
 
「梅の風俳諧国にさかむなり 信章」
 
「こちとうづれも此時の春  桃青」
  と唱和して、この新しい宗因流の自由な新風に傾倒しているのである。
 
当時ひとしく宗因の東下を機にして生れた江戸の新風にも、二つのグループがあった。

一方は談林軒松意を中心とする江戸在来の俳人グルーブ。

他は桃青の属した上方下りかあるいは上方俳壇に何らかのつながりをもつ作家達のグループ。

才能ある作家を擁していたのは後者であり、俳譜大名内藤風虎の文学サロンに山入したのも、また後者の作家達である。わが桃青はこの後者のグルーブの中でも異色の能才で、延宝五年風虎の催した「六百番誹階発句合」には二十句も出句しており、折から東下中の京都の伊藤信徳を交えて、山口信章(素堂)とともに巻いた『江戸三吟」(五年冬-六年春)を見ても、桃青の縦横の才気は、二人の先輩に劣らぬばかりか、むしろこれを圧しているのである。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2020年05月31日 07時27分25秒
コメント(0) | コメントを書く
[歴史 文化 古史料 著名人] カテゴリの最新記事


PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

山口素堂

山口素堂

カレンダー

楽天カード

お気に入りブログ

10/27(日) メンテナ… 楽天ブログスタッフさん

コメント新着

 三条実美氏の画像について@ Re:古写真 三条実美 中岡慎太郎(04/21) はじめまして。 突然の連絡失礼いたします…
 北巨摩郡に歴史に残されていない幕府拝領領地だった寺跡があるようです@ Re:山梨県郷土史年表 慶応三年(1867)(12/27) 最近旧熱美村の石碑に市誌に残さず石碑を…
 芳賀啓@ Re:芭蕉庵と江戸の町 鈴木理生氏著(12/11) 鈴木理生氏が書いたものは大方読んできま…
 ガーゴイル@ どこのドイツ あけぼの見たし青田原は黒水の青田原であ…
 多田裕計@ Re:柴又帝釈天(09/26) 多田裕計 貝本宣広

フリーページ

ニューストピックス


© Rakuten Group, Inc.
X