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山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

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2020年05月31日
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〔芭蕉、水道工事関与・宗匠〕
 

芭蕉が江戸神田上水の工事に関係していたというのは、この頃から延宝八年までの四年問と思われる。一方既に俳諮の宗匠となっていたらしく、その披露の万句興行もし、延宝六年正月には、宗匠として歳且帳も出したらしい。

延宝八年に刊行された『桃青門弟独吟二十歌仙』は彼の宗匠としての確乎たる地位を示すものといえる。杉風・ト尺・螺舎(其角)・嵐亭(嵐雪)以下二十名の作品集で、それぞれに今までの風調と違った新しい格調をそなえた作品集である。

驚くべきことに、僅か数年の間に、彼を中心として、これだけの俊秀が集まり、俳壇の最先端に位置していたのである。 

また其角・杉風の句に彼が判詞を加えた『田舎句合」・『常盤屋句合』もこの年の出版である。
 
ここにうかがわれる芭蕉の考えも、まさにさきの『二十歌仙』にはほのかに見えた新しい傾向、漢詩文への指向を示して、次の新しい風体の前ぶれとなる。

この年の冬、芭蕉は市中の雑踏を避けて、深川の草庵に入った。杉風の生簀屋敷だったといわれ、場所は小名木川が隅田川に注ぐ川口に近く、現在の常盤町一丁目十六番地にあたる。洋々たる水をたたえる隅田川三ツ股の淀を西に、小名木川の流れを南にして、附近は大名の下屋敷などが多く、葦の生しげる消閑の地である。草庵を名づけて、杜甫の句をもじって泊船堂としゃれこんだ。草庵の貯えは菜刀(庖丁)一枚、米五升入りの瓢一つ、客来にそなえて茶碗十という簡素な生活である。すべてを放下して俳諧に遊ぼうというのである。門人李下の贈った芭蕉の株がよく根づいて、大きな葉を風にそよがせるようになる。
〔仏頂和尚〕
 
この草庵の近くの禅寺に鹿・島根本寺(臨済宗)の住職河南仏頂が滞在していた。芭蕉はこの仏頂について参禅することになる。そして得た禅的観照が、彼の峠譜に新しい深みを加えることになるのである。
 
この頃から貞享までの数年問は、貞享元禄の正風を得るまでの模索期であり、まさに疾風と怒濤の時代である。俳壇が目まぐるしいテンポで移りかわる。その展開の軸をなすものは当時の江戸俳壇であり、もっと端的には芭蕉及びそのグループである。
 
延宝八年になると俳壇全体に目立ってくるのは極端な「字余り」の異体である。そして漠詩文調が、この字余りに一種のリズムを与えるのである。かくして取り入れられた漢詩調は、やがて単に表面だけの問題ではなくなって、漢詩の悲槍感、高層な格調をねらうためのものとなる。荘重桔屈な漢詩調でうたいあげられた日常的事物、そこに高踏と卑俗の重なりあった世界がある。

『ほのぼの立』に「当風」の例句とされた、中で「枯枝に烏のとまりたるや秋の暮」や、自己の貧しい草庵生活を漢詩的に処理し、隠逸を重ねた「雪の朝独リ干鮭を噛得タリ」などの発句には新しさをねらう気負いや、多分に迷った姿勢はあるにしても、漢詩のもつ緊迫した悲槍感、高雅な格調によってささえられた詩美がある。自己の生活を杜甫.蘇東波・寒山詩の世界と観ずる一種の気取りから生み出さきくれた生活詩
 
「芭蕉野分して盟に雨を聞夜哉」
 
「佗テすめ月佗篇がなら茶寄」
 
「櫓の声波うって腸氷ル夜やなみだ」
 
「氷苦く優鼠が咽をうるほせり」

などの句は、緊迫したリズムのもつ悲愴感と、現実を脱却、同踏的世界に昇華せしめて眺めることによって生ずる一種の余裕との奇妙な混合が醸し出す高雅な詩趣をただよわせる。京都での信徳らの新傾向の作品『七百五十韻』をうけて、其角・才麿等と興行した「俳諧次韻』も、同様に新しい傾向をはっきりと示す作品である。

天和三年に出た其角の『虚栗』によせた跋文には「李・杜が心酒を持て寒山が法粥を綴る…-佗と風雅のその生にあらぬは西行の山家をたずねて人の拾はぬ是栗也」とあるのは、李白・杜甫.寒山のもつ漢詩的・禅的風韻と、中世の自然歌人西行にならわんとする当時の彼の俳諸観をうかがうことができ、この『虚栗』の作品はいわゆる天和調の代表的作品ということができる。

芭蕉、火災

天和二年十二月二十戸、日駒込大円寺から出た火は江戸の大半をなめ、芭蕉庵も類焼の厄にあった。

「潮にいりひたり筈をかついて、煙のうちに生のびた、この体験が、彼に、「猶如火宅の変を悟り、応無所住の心を」

しみじみと感じさせたという。災後一時甲斐の谷村に流寓していたが、翌天和三年五月江戸に帰り、同冬、友人知己の喜捨によって再建された芭蕉庵に入って春を迎えることになる。

 






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最終更新日  2020年05月31日 07時28分41秒
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