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山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

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2020年06月04日
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素堂を演出した連作の虚構

 

秋風や蓮をちからに花一つ

  

この句、東武よりきこゆ。もし、素堂か。

 

がっくりと抜け初むる歯や秋の風  杉風

芭蕉葉は何にもなれと秋の風    路通

  人に似て猿も手を組む秋の風    珍碩

 

これは『猿蓑』巻三・秋部の巻頭の四句である。巻三とはいってもその巻頭に〈読み人知らず〉の句を掲げるのは全く異例のことである。だが、編者はこの巻頭句の作者を「知らず」としながら、その左註では

この句は江戸から送られて来たので、あるいは素堂の句かもしれないという。

左註のこの推測は、素堂が江戸の人で〈蓮池の翁〉と称していたこと、江戸から送られて来た巻頭句が

その蓮を詠んだ句であること、という単純な理由による。

だが、荷兮編の『曠野後集』(元禄六年刊)にはこの句を「岡崎・鶴声」として収録し、三河岡崎の鶴声の句であることを明らかにしているから、作者を江戸の素堂とする『猿蓑』の左註の推測は誤りであったことがわかる。

 それにしても、なぜ秋の巻頭にわざわざ作者不明の句を置いたのであろうか。しかも、それを「不知読人」と記しておきながら、なぜわざわざ「もし素堂か」といったこんな不確かな当てずっぽうの左注をつけたのであろうか。

第一、芭蕉と編者らが秋の巻頭に据えたこの句の作者を知らなかったというようなことが考えられようか。三河岡崎の人の句が、作者名を伏せて江戸から送られて来たというのもおかしな話である。これらの疑問を解くためには、まず巻頭二句の唱和を検討してみなければならない。

 読み人知らずの秋の巻頭句はさまざまに解されていて解釈の定まらない句だが、伊東月草の、「蓮の花が茎を立てて、秋風の中に辛うじて咲いてゐる景であらう……頭も重く直立した茎の、風に折れ易い感じを表はす」(『猿蓑俳句鑑賞』)とする解かよい。

秋風に揺れて今にも折れそうな頭の重い蓮の花を、花茎が精いっぱいに支えている、そのバランスの極限を、巻頭句一八九番句は表現しているからである。例えばそれは、張り詰めた琴の糸がまさに切れようとする直前の緊張度に等しい。だから、これをうける次の杉風の「がっくりと」句に、「がっくりと抜け初むる」の表現がくると、巻頭句の緊張したバランスの極限が、一気に崩れるような対応を見せる。つまり、根限りにかろうじて支えていた緊迫したバランスとその一気の崩壊、そういった対応を、老衰の予兆としての抜け歯で表現したところに滑稽感がにじみ出ている。明らかに巻頭の「秋風や蓮をちからに花一つ」の句は二句連としてつがえられたものに違いない。

 とすると、この秋の巻頭の二句連は〈蓮池の翁〉としての素堂に戯れる趣向を出そうとした唱和だったのではないか。芭蕉と編者らは、もちろん秋の巻頭句一九九番句の作者を知っていたはずである。それをあえて「不知読人」として伏せた上で、その左註に、この句がいかにも江戸から送られて来たように虚構し、さらにその作者がどことなく素堂らしいことを匂わせて、江戸の杉風の句と二句題につがえて見せた。これは明らかに、芭蕉と編者らが素堂の老いに戯れるために二句連の唱和に仕組んだものであり、またこの二句連が江戸の杉風のもとから送られて来たように虚構したのもそのためであった。これもまた俳諧撰集の唱和連作の模様作りにほかならない。

 

 『猿蓑』の四季部立四巻のそれぞれの巻頭を飾る句の作者を見ると、巻一が芭蕉、巻二が其角、巻四

が露沾(磐城平七万石の藩主内藤風虎の二男で、江戸俳諧サロンの主)というように、みな大物が据えられているのに、巻三だけが「不知読人」であるのは、おかしいことなのであった。

素堂の作らしいことを句わせた虚構の作者不明句と杉風の句との、二句連の唱和の趣向にこそ、巻三の巻頭を飾るにふさわしい狙いがあったのである。

俳諧撰集の唱和連作模様は、大なり小なり編者によって演出された、こうした虚構に支えられているのであって、そうした唱和連作の興(狂)に、彼らは詩的和合の表現をかけていたのである。

とすると、荷兮が『曠野後集』でこの句の作者が三河岡崎の鶴声の句であることを明らかにしたのは、『猿蓑』の演出を暴露したことになり、俳諧連衆の発句唱和の虚構の場をぶちこわす行為ともなる。『猿蓑』は芭蕉一門の主張を強く打ち出した俳諧撰集である。その巻三(秋部)巻頭のこの「不知読人」は、それだけに他派の俳諧師たちにも相当に目立ったはずだから、荷兮がそれに気付かなかったということは考えられないだろう。荷兮には芭蕉の〈俳諧の興〉がどうしても理解できなかったらしい。こうして荷兮は芭蕉から離れて行き、かつての『あら野』編者の栄光も消えて行くことになる。

 

 ところで、素堂の面影を付与した「不知読人」の句に戯れたのが杉風の「がっくりと抜け初むる歯や秋の風」の句とすれば、次の路通の「芭蕉葉は何にもなれと秋の風」の句はどうであろうか。路通は、大きな芭蕉の葉があちこち破れて秋風にはためいているありさまを----芭蕉葉は河になれというのか、秋風よ

とユーモラスに秋風に問いかけてみせる。つまり----秋風よ。お前は芭蕉葉をこれ以上破って、どうしようというのか----といった問いかけにほかならない。

 

がっくりと抜け初むる歯や秋の風   杉風

芭蕉葉は何にもなれと秋の風     路通

  

 両句がこのように二句並ぶと、秋風が吹いて歯が抜け始める杉風の句の老残への予兆と秋風に吹かれて破れて行く、路通の破芭蕉無残の予兆、といった面白い対応をみせる。しかも、このような対応は、秋の巻頭三句の唱和連作模様をも鮮やかに彩って見せるのである。それは、秋風に吹かれて崩れさろうとする杉風の「蓮」と、秋風に吹かれて破れて行く路通の「芭蕉葉」の対応にくっきりと見ることができる。

前述の『野ざらし絵巻』の中で、芭蕉の道行本文に唱和した素堂の俳諧詩文「野ざらし讃唱」の次の

ような詩句を見れば、それは一目瞭然である。

   風の芭蕉

   我が荷薬

   ともに破れに近し

 すでに述べたように、この素堂の詩句は〈バショオ〉と〈カショオ〉を対句仕立てにしたもので、芭蕉を芭蕉葉に譬え、素堂白身を荷薬(蓮の葉)に譬えて、共にその薬が風に破れやすいという、無用の用の境涯を詠じたものであった。こうしてみると、秋風に吹かれて「蓮」がまさにバランスを崩そうとする巻頭の杉風の句に、素堂の作と思わせるような演出をし、杉風の句を媒介にして、次の路通の句に「芭蕉葉」の破れを譬えて詠じるという、この〈蓮葉と芭蕉葉〉の巻順三句連の唱和連作模様には、おそらく素堂の「野ざらし讃唱」の詩句が意識されていたはずである。

鶴声の「蓮」の句をわざわざ「不知読人」の句にして「もし素堂か」と、そこに〈素堂〉を暗示した虚構の理由も、実はそこにあったと言うべきだろう。

 

 






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最終更新日  2020年06月04日 20時48分55秒
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