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山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

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2020年06月05日
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古事記に見える 葡萄(ぶどう) (たけのこ) (もも)

 

ここで伊邪那岐命は、その亡くなられた妃の神が恋しくて逢いたいものだと思い、死人の行っているという黄泉(よみ)(のくに)(夜見の国ともいう)に後を追って行かれた。命は

「愛するわが妻よ、わが君と一緒に作った国は沢山あっても、まだ全部ができ上がったというわけではないのだから、もういっぺん、わが現世界にかえって来ないか」

と言われた。そこで妃の神が答えられるには

「ああ、誠に残念な次第です。あなたが早くいらっしゃらないから、わたしは、一度食べると現世界には帰れないという、この黄泉国で煮炊きしたものを、すでに食べてしまいました。しかしながら、最愛のわが夫の命がわざわざここへ迎えに来て下さったことはおそれ多いので、しばらく黄泉国の神と相談しますから、しばらくお待ち下さい。そしてその間にわたしを見てはいけません」

とこの同の神殿の奥深くお入りになった。待たれるよりも待つ身のつらさ、久振りに初対面のなつかしさ、長い時間待ったがお出でにならないので、ついに左の方の髪にさしていた細い歯の沢山ある櫛の端の太い歯を一本折り取って、火をともして殿内に入って、よく見ると、これは不思議、妃の神の初身体にはうじ虫が一杯集まっていてしかもとけてグニャグニャになっており、頭部には大雷(おおいかづち)、胸部には(ほの)(いかずち)、腹部には黒雷、陰部には折左手には若雷、右手には土雷、左足には伏雷というように、合計八種類の雷さまがいたのです。

 さすがの命も、この有様を見て恐ろしく感ぜられ、大急ぎで逃げ帰られるとき、女神は

「あなたは見てはいけないと頼んでおいたのに、おのぞきになってわたしに恥辱をお与えになった、くやしい」

と言われ、直ちに、黄泉醜女(黄泉国にいる醜く強い女神)に命じて、伊邪那岐命を追わせたので、男神は一生懸命逃げたが、何分女鬼のことであってその足の早いこと、捕まえられそうになったので、髪に飾っておいた、(かつら)を取って投げつけると、これが一房のぶどう(葡萄)になった。食うことにいやしい醜女は、これは甘そうな果物であると、掴んで食う暇に、男神はどんどんお逃げになったが、間もなく葡萄が無くなると、また追いかけて、またまた危難は背後に迫ったので、今度は左の髪にさしていた櫛を地上に投げる笋(たかむら たけのこ)いう筒のような甘い果物が地上から生えたので、醜女は意地きたなく、またそれを掘って取って食うので、いいぐあいとお走りになるのを、伊邪那美命は、もどかしく思われ、こんどは八雷神を大将として千五百の軍兵を率いて、伊邪那岐命の後から追撃させられた。

 さすがの命も困りはて、遂に腰につけていた十拳剣を抜き放ち、これを後手に振り回しながら逃げて来られるのを、まだ追いかけて来て黄泉国と現世国との境の坂の下に到達したとき、伊邪那岐命は、その坂の下にある桃の実を待ち受けて、これを投げたので、黄泉軍は全部逃げて帰ってしまった。そこで伊邪那岐命は、その桃の実に

「お前は、われを助けてくれたように、葦原中国(広く全世界を指したもの)にある現世の人々か苦境に陥って苦しむであろうその時に、今後ともよく助けてくれよ」

と仰せられ、その桃に、意富加牟豆美命(おほかむずみのみこと)という名をお与えになったのです。

  最後には妃の伊邪那美御自身が追いかけて来られた。そこで伊邪那岐命は大きな石を黄泉比良坂に横たえて道をふさぎ、三個取って、その石を中において相対し、

「夫婦の契もただ今限りだ、絶縁するぞ」

と言われた。その時、女神は

「愛しきわが夫の神よ、今言われるようにわたしを難路するなら、復讐の意味であなたの国の人々を一日に千人ずつ順を改めて殺してしまいますよ」

と言われた。そこで男神は

「愛しきわが妻よ、そんなことをするならば、わたしは千人とられても悲観することのないように、もっと沢山の千五百人を一日に産みます」

と仰せられた。

この黄泉比良坂は今の出雲国(島根県八束郡)の伊賦(いぶ)夜坂(やさか)(揖里村)であるということです。

 

ここにおいて伊邪那岐命は、

「われは、いやな実に忌むべき(きたな)いものを見た。ああ穢い所に行っていた。それでその穢れを洗い落とすことにしよう」

と言われ、筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原(あわぎはら)に出かけて、御身の穢れを払い捨てられた。その時に穢れた杖や、帯、袋、衣、衿、冠、左右手順の装飾品などから十二柱の神々がお生まれになりました。

 ここにおいて伊邪那岐命は、「川の上流は流が急で面白くない。また川の下流は流れか弱すぎて感心しない。また川の下流は流れが弱すぎて感心しない」と言われ、やがて水中に(くぐ)って身の穢れを洗い落とし

八十(やそ)禍津(まがつ)(びの)(かみ)。を始め底津綿津見神、底筒之男命、中津綿津見神、上津綿津見神、上筒之男命の十一諸神を生み、そして、

左の目の穢れを洗われた時にお生まれになった神さまの御名は(あま)(てらす)大御神(おおみかみ)(伊勢・皇大神宮-内宮の祭神)と申上げ、

次に右の目の穢れを洗われた時にお生まれになった神さまの御名は月読命と申上げ、

また次に鼻をお洗いになった時に生まれた神さまの御名は建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)と申上げるのです。

 その時に、伊邪那岐命は大層お喜びになり、

「われは盛んに子供を生んで、そしてその最後に当たって三柱の尊く秀でた御子供を得た。実に嬉しいことである」

と仰せられて、自分が頸にかけていた首飾りの珠を取って、

上の天照大御神に与えられ、「あなたは、高天原をお治めなさい」とご委任になり、

また次の月読命には「あなたは月の世界をお治めなさい」と委任し、

次に末子の建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)に対しては「お前はあの広々とした海原をお治めなさい」と委任したのです。

 






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最終更新日  2020年06月05日 16時21分08秒
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