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山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

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2020年06月05日
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日本神話の神々  (あま)(てらす)大御神(おおみかみ)

 

  美しく尊い皇室の祖先と仰がれている女神。

われわれ国民がひとしく尊崇している神さま

 

初め、伊邪那岐命が、黄泉国にて、妃の伊邪那美大神を見て、その穢れを洗い清めようと、筑紫の日向橘の彰卦の耶ぐヘ聯のヤ庁の。小門(おと)阿波(あわ)()(はら)(日向国〈宮崎県〉宮崎郡檍村とも)筑前国〈福岡県〉筑紫郡住吉村ともいい今は判然していない)で、全身を清められた(禊祓い)最後に御左の眼を洗われますと、美しき光りと共に美しい女神が生まれました。その時、天地いっぱいに日の光照り輝いたため、天照大御神と名付けられました。

 父、伊邪那岐命の喜びはたとえようもなく、自分が頸にかけておられた頸飾りの珠を取って手に持ち、これを良い音をたてて盛んに揺り動かしながら、天照大御神に与えられて御命令になったのは、

「あなたはこれから高天原をご支配しなさい」

と仰せられた。そこで天照大御神は、天に昇り、高天原をご支配あそばされることになりました。

 高天原における天照大御神はまず田地を開拓し、畑を耕し、養蚕をなして製絹の方法から、織物の法まで授けられ、沢山の神々を鎮めて、非常によく治めていられたので、悪い神々は一人も出ることか出来ませんでした。

 しかし、ある時、高天原に大騒動が起こったのです。

それは、泣いてばかりいて「海の国」を治めなかった速須佐之男命が、父、伊邪那岐に怒られ、国外に放逐されたので、一目姉、大御神にお暇乞いをしに参上して来たからです。

 何しろ名代の荒神ですから、どうしたものか山川国土すべてが震動し、多くの神々はおそれおののいてしまった。

 大御神は驚かれ、

「わが弟の尊が上がって来られるが、これは必ず善い心からではあるまい、きっとわたくしが領有するこの高天原を奪い取ろうと思って居られるのだろう」

と仰せられ、ただちに御自身の髪を解いて、男の髪である角髪に結び、背には幾多の矢の入った入れ物を負われ、また威勢よく高い弦音を発する具をおつけになり、弓を振り立てて、甚だ威勢よく大地を踏み鳴らして須佐之男命の上がって来るのをお待ちになり、昇って来るや「あなたはなぜここへ上かって来られたのか」

とお尋ねになった。

そこで須佐之男命か答えられるには、

「わたしは疑われているようでありますか、別に邪悪な心を待っているわけではありません。父の国を追われましたので、母の国(黄泉国)に参りますために、久しぶりに姉様に御挨拶に来たのです」

と言われると、大御神は

「そういうわけならば、あなたの清い心であることを知りたいが、その正しい清きことは何により知ることができますか」

 と仰せられた。

 そこで須佐之男命は

「お互いの契約の上で、子供を産んで証拠だてることに致しましょう」と返答された。

 こういうわけで天照大御神と須佐之男命とが天の安河原を真ん中に隔てて。誓約し、大御神がまず腰につけている()(つかの)(つるぎ)を受け取られて、これを三つに打折られ、玉をゆらゆらと揺り動かして好い音を立てながら天井にある井ですすぎ洗って、それを喘み砕いてパッと吹いて棄てられ、その息の霧となって出るときに生まれた神さまは、

多紀理毘売命(奥津島比売命)次に市寸島比売(いちきじまひめ)(のみこと)狭依見売(さよりひめ)(のみこと)、または(いち)杵島(きしま)(ひめ)(のみこと)多岐都比売命(たきつひめのみこと)の三神です。以上の三神は、筑前国(福岡県)宗像神社の祭神です。またこのうち市杵島比売(いちきじまひめ)(のみこと)(市杵島姫命)だけは他に厳島神社の祭神となっています。

 今度は頂佐之男命が大御神の左の方の髪につけておられる立派な勾玉の沢山の緒に通っているものを受け取られてやはり玉をゆらゆらと揺り動かして好い音を立てなから天の真名井(天井にある井の名)ですすぎ洗って、そこにお生まれになった神は、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(まさかあかちかつはやびあめのおしほみみのみこと)、また、右の方に付けておられた珠からは、天之菩卑之(あめのほいの)(みこと)、また御鬘(みかずら)にまかせる珠からは、天津(あまつ)日子(ひこ)(ねの)(みこと)、また左手の御手にまかせる珠から、活津(いくつ)日子(ひこ)(ねの)(みこと)、また右手の御手からまかせる珠から、熊野久須毘命(くまのくすびのみこと)が生まれました。

そこで大御神は、須佐之男命に向かって告げられるには、

「この後に生まれた五方の男の子は、わたしの品物から生まれた子であるから、わたしの子で、先の三方の女の子は、なんじの物から成った子であるから、なんじの子である」と仰せられた。

ここにおいて命は、姉の大御神に

「わたしの心が清く正しいので、わたしの生んだ子がみな美しい女の子でした。これでわたしが勝った次第です」

と言って、勝った勢いに乗じてその諸行動かますます荒々しくなり、大御神のご耕作された田の畔道を壊したり、溝を埋めて湿温に不便を与え、食事の場所に太小便を遠慮なくされた。しかし大御神はすべて物事を善意に解釈し、弟神の乱暴をお咎めしなかった。

 ところが、命の御乱行はその後もなおおさまらず、いよいよ烈しくなって来て、大御神が神衣を織る機屋におられて神衣を織っている時に、須佐之男命はその棟に火をつけて、天斑馬を逆に尾の方から頭の方に皮を剥いで投げつけた。その時神衣を織っていた女がこれを見て驚き陰部(ほと)を突きあてて死んでしまった。

 天の岩戸

さてここに大御神はこの有様をご覧になり大いに驚き、難を避けようと、天石屋戸の戸を堅く閉じてその中に入り、姿を隠してしまった。

 そのため高天原はどこも暗くなり、萱原中国も光を失って仝部真暗闇になってしまい、ここで、万の善神は影をひそめ、悪神どもは、五月の蠅のように、ガヤガヤと時を得顔に横行して、あらゆる不幸の災禍がことごとく発生してしまいました。

 ここにおいて、多くの神々は、天安河原にお集まりになって、高御産巣日神の御子思金神という知恵者に、大御神を天岩屋戸からお出しする謀を考えさせられ、引出し奉る準備として、まず常夜の長鳴鳥を沢山集めて鳴かせ、天安河のほとりから、(あまの)(かた)(しわ)を拾ってきて舵の台とし、(あまの)金山(かなやま)の鉄を取って来て、鍛人天津痲(かぬちあまつま)()という者に打たせ、伊斯許理度売(いしりどめの)(みこと)に命じて美しい勾玉を数多くつけた八尺瓊(やさかにの)勾玉(まがたま)を作らせ、これらを飾り立て、さらに、男鹿の肩骨を焼いて占わせた結果、天香山の大榊の枝をとり、これに多くの勾玉を付けて、ゆらゆらと揺り動かして音をさせ、下枝には、白赤青等の色々美しい布片などをつけ、岩戸の前に飾り、すっかり準備を整えてから天児(あまのこ)屋根(やね)(のみこと)は音声が大きいから、面白そうな祝詞を節おかしく述べさせる。命は御幣を建てて、榊の前で礼拝します。そして天手力男神という、高天原第一の強力無双の神が岩戸の脇に隠れて、岩戸開扉の大役を引き受けられた。

 さて、このとき、天宇受売命という美人ではないが、すこぶる面白い御面相をした、また滑稽な女神があって、空桶を伏せた上に登り、踊り狂ったからたまらない、八百万(やおよろず)の神は一度にドッと笑いこけてしまった。そのくだりを古事記はこう書いている。

 

天宇受売命、天香山の天の日影を手次にかけ、天の真さきを鬘として、天香山の小竹葉を手草に結い  

て、天石屋戸に覆槽(たらいのようなもの)を伏せて、踏みとどろこし神憑りして胸乳を掻き出て()

(ひも)(ほと)に押したりき。ここに高天原ゆすりて、八百万の神ともに笑いき」とあります。

(天宇受売命の項参照)

 

ここにおいて、天照大御神は、あやしく思われ、天石屋を細目に開けて、内より言葉をかけられ、

「私がこの岩屋戸に入って隠れているので、高沢原は自然に暗くなり、葦原中国もすべて暗いであろう、不愉快であろうと思うのに、なぜに天宇受売命はのんきに音楽を奏して遊びたわむれ、またなぜに多くの神々は笑うのであろうか」

と仰せられた。

 そこで天宇受売命は、

「あなたさまよりもずっと尊い神さまかおられますから、こうして楽しんでいるのであります」

 と申し上げた。こう申し上げている間に、天民屋命と布刀玉命とは例の鏡を指し出して大御神にお見せしました。その時に大御神はいよいよ不思議に思われ、石屋戸から少し身体を乗り出して辺りをご覧になった。そうすると今まで石屋戸の側に隠れて立っていた力の強い天手力男命が進み出て、大御神の御手を握ってお出し奉った。布刀玉命は、早速、(しり)久米(くめ)(なわ)(これが神社や神さまにつける注連縄(しめなわ)の起源です)を大御神の後方の石屋戸の入口に張り渡し、「もうこれより中へ御入りになってはいけません」と申し上げた。こうして天照大御神か再びお出ましになったので、しばらく暗かった高天原も葦原中国も自然に照り輝いて明るくなり、悪神共も今はどこへやら、無事太平となったのです。これは大御神の御威徳、御恩沢の広大無辺という外ありません。

 首尾よく天照大御神を天石屋戸から連れ出した八百万の神々は、この原因を作った須佐之男神を刑罰にかけねば気がすまなくなって、協議か行なわれ、その結果、須佐之男神に千もある台に一杯になるほどの品物を罰としてさし出すことを命じた。そしてまた髭を切られ、手足の爪をぬかれ、高天原から追放したのです。

 それから、無事に大御神は高天際を御治めになっていられたが、御子、正勝吾勝勝速(まさかあかつはや)日天(びあめ)(おし)()(みみの)(みこと)をもって、農作物の非常によくできる、葦原中国を支配させようとの御台冷を下された。その時の御神勅は「豊葦原之(とよあしはらの)千秋(ちあき)(なが)五百(いほ)秋之水(あきのみず)()(くに)は、我が御子、正勝吾勝勝速(まさかあかつはや)日天(びあめ)(おし)()(みみの)(みこと)の知しめす所なり」

というのであった。そこで(あね)忍和(おしほ)(みみ)(のみこと)は、天の浮橋から、日本の形勢を御見になると、甚だ物騒なる様子であったから、そのよしを天照大御神に申し上げられると、それではとて幾多の神々を下して、まず日本の大半を領しておられた、大国主命(後記)を御論しになったので、ついに大国主命はその命を奉じ、国土をこの神の御末に奉って御隠居されたので、永く、日本国はこの大御神の御末の治めたまう国となったのです。(これには異論がありますが、少なくとも戦前はこのような教育をしていたのです)

 






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最終更新日  2020年06月05日 17時13分30秒
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