カテゴリ:歴史 文化 古史料 著名人
《素堂書簡》 元禄七年(1694)十月二十六日付け 山口素堂、曾良宛書簡 《引用》 『連歌・俳護研究』三十八号。森川昭氏紹介。 《引用》 『芭蕉の手紙』村松友次氏著所集。 《引用》 『俳讃ノート』星野変五人民著。」
御無事ニ脚務被成候哉。 其後便も不承候。 野子儀妻に離申候而、 当月ハ忌中ニ而引籠罷有候。
一 桃青大阪にて死去之事定而御聞可被成候。 御同前ニ残念ニ存事ニ御座候。 嵐雪・桃隣二十五日ニ上リ申され候。 尤ニ奉存候。 内々ノミのむしも忌明候ハゞ、 其日相したゝめ可申候。 内も人の命ははかりがたく候へ共…云々
例ノ年わすれ、去年ハ嵐蘭ヲかき、 ことしは翁ヲかき申候而、明年又たそや
この素堂の手紙は先述した森川昭氏の『連歌・俳譜研究』に紹介されたものを村松友次氏が『芭蕉の手紙』に引用されたものである。 素堂の資料を求めて大阪・大津に出かけた折りに知人により星野麦久人氏の『俳諧ノート』の存在を知り、早速取り寄せた。それには素堂の取材当時のこと。(写真掲載)句の解釈それにこの手紙の後半が記載されていた。 又、 「芭蕉は素堂から学ぶところがあり、素堂はまた芭蕉によって俳壇にその名を残した。」とも述べている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年06月07日 11時52分45秒
コメント(0) | コメントを書く
[歴史 文化 古史料 著名人] カテゴリの最新記事
|
|