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2020年06月13日
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カテゴリ:山梨の歴史資料室

生山正方  韮崎市(旧穴山村) 

『峡北地方物故文化人集』堀内(田力 リク)一郎 一部加筆

 石水組に生る。穂見神社の神職にて、従五位下に赦せられ大隅守に仕官す。初名を兵部、秋齊または君舟と号す。

 正方は甲斐の碩学加質実光章の門に入り、国学漢学を学ぶ、勤王家山県大弐とは同門弟である。

のち京都に遊学して大納言日野資枝同資菅矩の門に和歌を学び、帰郷して天明八年(一七八八)稲倉塾舎を開き子弟を教授する。

近郷その学風を慕いて門に集る者四百余人。

神山村矢崎好貫、片山村栗原信敬、駒井村宮沢重卿、円野村越石保定の如き高弟は師の志を継ぎ、文教を維持せり。

寛政初年(一七八九)、正方郷学に尽す事を聞き、清水黄門卿特に「聖論」、「庭訓世範」の二書を賜る。

遥かにその勤皇王敬神篤学の精神を賞せり。

文政十三年(一八三〇)九月七日六十七才にて歿する。其の死と共に塾舎を閉じる。

其の子豊後守正方、孫河内守正方何れも篤学の士であった。

 六十の賀 いさ共に心すみ行く月を見む

萬千秋の長秋の宿

 政吉思昔 いふのかみ千代のふる道ふみみれば

いとと昔のしたはるる哉

『甲斐叢記』

☆ 生山正方

 忘川 巻の七

  忘れ川行瀬の水の早けれど

       やどかる月の影は流れず

☆ 生山正方

 鳳凰山 巻の七

  あし引きの山わけ衣うら安く

       大鳥が根をけふ見つるかも

☆ 生山正方

 酒折宮 巻の八

  えみしらをことむけましゝ當昔を

       おもへば久し神垣の松

『甲斐叢記』峡北関係

☆ 森越義敦 大泉町

 穂坂庄 巻の六

  若駒の心も今やいさむらん

       はるの日数を逸見の御牧に

☆ 森越義敦

 八ヶ岳 巻の七

  壯雄鹿の八が高根に神鳴きて

       夕立すなり逸見の村里

 






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最終更新日  2020年06月13日 18時29分59秒
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