カテゴリ:北杜市歴史文学資料室
輿石森興 長坂町 『甲斐叢記』入集者 祖先は篠尾村(小淵沢町)広野神社及当村(長坂町)八幡神社の祠官であった。父を森如と云う、建岡神社祠官となる。 或る自作の和歌を、京の公卿日野資愛に縮刷を求めたところ 「駒ケ岳、白根ケ岳のいたちども添をするには及ばざりけり」 の返歌に接し、発憤京に上り勉学せり。其の時公卿八人から左の和歌を頂戴せり。皈国(きこく)後奉納額を作り、建岡神社に寄進した。時は文化五戊辰(一八二二)の冬、法楽百首の題字は刑部卿貞直、書は正四位下賀茂県主保角大人である。今日大切なる文化財である。 かしこくもこゝは宮居を建岡の 神やうこかぬ世を守るらん 日野前大納言資矩 すめら紀の御代のさかへを守ら舞と 宮居をこゝに建岡の神 中山大納言忠尹 いふはゆる建岡の森の榊葉は 千代萬代も色はかわらじ 正三位大宮盛季 和くる飛かりかさ禰てさく花の 色香こめたる建岡の森 従三位久世通理 ます神の飛かりもきよく建岡の 宮居くもらぬ秋の夜の月 甘露寺左大弁宰相国長 延岡の神のひかりのあきらけき きみかけを遠くあふく朝夕 日野右大弁賓愛 建岡の木の問をもりのかけとても 紙さひけりな秋の夜の月 外山宰相光実 神垣の志らゆふかけてつもりそふ 雪にこふかきたてをかの森 左京大夫行宣 寄国歌祝 君か代の千とせを祝うことのほに よめともつきぬ柄にそありける 従五位下土佐守源森輿 『甲斐叢記』掲載和歌 ☆ 輿石森輿 金峰山 巻の七 あたひなき玉とも見らんとりよるふ 黄金峯の春の明ぼの ☆ 輿石森興 笹尾の塁 小淵沢町 巻の七 瀧森 石清水むすひもあへす涼しさの たもとにあまる森の下かけ
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最終更新日
2020年06月13日 18時36分24秒
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