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2020年06月13日
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〔三枝雲岱略伝〕

 

文化八年(一八一一)浅尾新田(明野村)の小野元鼎の第三予として生まれる。諱は汰(ゆたか)、字は淘之。

文化八年(一八一一)

浅尾新田小野青島の第3子として生まれる。兄に小野通仙がいる。

文政八年(一八二五)

14歳のとき、蔵原村(高根町)の三光山宝原寺の修験者ばん啓の娘かねと結婚。

三枝氏の養子となり、修験を務める。

文政十一年(一八二八)

長子宗弘生まれる。甲府の画家竹村三陽に南京画を学ぶ。

のち、尾張にて木田草堂に就き岸派に属する。

天保三年(一八三二)

二男調生まれる。上京する。その折り「西遊記」を著す。

家業修験を長子宗弘に譲り作画に専念する。

5月、妻かねを亡くす。

8月、高根蔵原村名主細田六郎兵衛の娘「ゆう」を妻に迎える。

天保十二年(一八四一)

「市川遊歴日記」を著す。

嘉永二年(一八四九)

修験活動、日記「今日より二夜三日、大蔵の亥年・女の祈祷に招かれる」。

このころ尾張木田草堂に学ぶか。

嘉永五年(一八五二)

 画室、修竹楼を建てる。

安政五年(一八五八)

 伊那地方を遊歴する。『伊奈遊歴記』

文久一年(一八六一)

 名古屋木田華堂を訪ねる。『西遊日記』

文久三年(一八六三)

郡内谷村遊歴する。

慶応元年(一八六五)

 甲州財閥若尾逸平より依頼「月令花卉十二幀」を描く。

慶応二年(一八六六)

長男宗弘死去し、雲岱再び修験を仕切る。

明治元年(一八六八)

 神仏混淆の禁止により、三光山宝原寺は「愛宕神社」となる。

明治二年(一八六九)

 孫宗啓が神職となる。

明治六年(一八七三)

孫宗啓が神職を辞して上京する。

雲岱、再び愛宕神社に奉仕する。

明治十三年(一八八〇)

明治天皇の山梨県巡幸を迎え、「玉堂富貴図」と「御岳新道図」を献上する。

明治十五年(一八八二)

農商務省主催内国絵画共進会に出品。褒状を受ける。

明治十七年(一八八四)

パリ開催の第2回日本美術観覧合へ「牡丹の図」を出品。

明治十九年(一八八六)

「雪景色の図」を描く。

明治二十五年(一八九二)

甲府で画会を開催する。

明治二十六年(一八九三)

須玉町若神子で画会を開催する。

明治三十三年(一九〇〇)

皇太子(大正天皇)の婚儀に「歳寒三友図」を献上。

明治三十四年(一九〇一)

319日汲。享年91

『甲斐叢記』入集者 蔵原宗弘

☆ 倉原(蔵原)宗弘(三枝雲岱の子)三枝宗弘 

《註》

文政十一年(一八二八)、雲岱十八歳の時長男「宗弘」生まれる。

宗弘は、について和歌国文を学び、特に和歌をよくした。「桐舎」と号し、家集「桐の

落葉」がある。修験の道に従い、文教法印と称した。

 

     倉原(蔵原)宗弘(三枝雲岱の子)三枝宗弘 

浅尾堰 巻の六

☆ 倉原(蔵原)宗弘

旗立松 巻の六

  御旗立て敵なびかしゝ松か枝を  

       今のをつゝに見るが尊さ

     蔵原(三枝)宗弘

豺倉(いぬくら)峠 巻の六

    犬倉嶺にて紅葉をよめる

いぬくらや其名いかにと思ひしは

     秋の錦をつめばなり

     蔵原(三枝)宗弘

御嶽新道 巻の六

 思ひきや写絵ならでかゝる山

     かゝる渕瀬の世にあらんとは

 

     蔵原(三枝)宗弘

金峰山 巻の六

 ふくしとりほればうがてば甲斐かねの

      山はさなから白玉にして

     蔵原(三枝)宗弘

韮崎 新府城 巻の七

 焼れつる昔おもふも悲しきに

      のこれる米よ朽ち果てねたゝ

     蔵原(三枝)宗弘 

  井出の桜(高根町西井出)巻の七

   神寂し老木も春は若林

        若返りたる花盛りかな

     蔵原(三枝)宗弘

鳳凰山 巻の七

 唐鳥の名は老いながら此の国の

      にしの鎮とたてるこの山

     蔵原(三枝)宗弘

  勝沼 大滝山 巻の八

     十月はかり勝沼の里にてぶどう売る家あるを見て

冬枯れの萱の軒には秋の野の

     三枝宗弘(三枝雲岱 息)

   猿橋 巻の九

   ふた柱神の尊のあとゝかも

        雪にかけたる甲斐の猿橋

     三枝宗弘(三枝雲岱 息)    

  谷村館跡 巻の九

    山高く水さへ深し梓弓

        谷村の里は要害地(ねまどころ)    

 






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最終更新日  2020年06月13日 18時41分42秒
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