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山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

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2020年06月14日
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カテゴリ:山口素堂資料室

山口素堂の俳諧

はじめに

 山口素堂の俳諧資料の初出は、寛文八年刊行の「伊勢踊」(五句入集)からである。この集の編者春陽軒加友は、信章(素堂の発句を大切に扱っている所を見ると、これ以前から、何処かである人から俳諧の手ほどきを受けていたようである。また、素堂の本名は「信章」とされているのであるが、雅号であるのか本名であるのか、全く不評である。

 「素堂像の考察」でも触れている通り『甲斐国志』には

 

少小四方ノ志アリ。屢々江戸ニ往還シテ受章句於春斎。

亦遊歴京都、学書持明院家、受和歌於清水谷家。連歌ハ

再昌院法印北村季吟ヲ師トス。…中略…茶ハ今日庵宗丹

門人ナリ。

 

とある。砕いて言えば「少小」とは元服前の子供、つまり少年の事である。

子光(素堂晩年の世話人)の「素堂句集」(享保六年)序では、

 

自弱冠遊四方名山勝水云々

と記す。「弱冠」とは二十才を称する語で、つまり、弟に家産を譲って江戸へ出たとする頃で、寛文元年頃と云う事になる。若い頃の素堂が林家の家塾に入り、学んだ事は同門の人見竹洞が「林門三才之随一(『含英隋記』)と評しているし、甥の黒蕗の「摩詞十五夜」(まかはんや・素堂五十回忌追善集)に「学は林春斎先生の高弟」と記述する。しかし、林門名簿には元禄六年の項に見える。好意的に推測すると、林家私塾に入ったのが十二か十三才(承応三年頃)で、寛文三年(一六六三)には私塾が蔦府より弘文院号が与えられた。

この年素堂は二十二才。この頃には林家の門を離れて仕官をしていたと思われる。

素堂が俳諧に手を染めたのは寛文の中頃と推定し得るが、林家の初代羅山も俳号を持った人である。林門の中には俳諧の流れが有り、この林門周辺では素堂の得意な「和漢聯句」が盛んであった。

 素堂と芭蕉の出会いを示す適切な資料は無く、資料上からしか窺い知ることはできない。素堂は漢詩人として俳諧を捉え、常に芭蕉に新たな句作方法を提言しながら、芭蕉を見守っていた。芭蕉は素堂に寄り添いながら蕉風を切り開いていく。絶妙の二人三脚で確立した当時の俳諧世界を新たな資料を散りばめながら綴っていく。

 そこには過去の定説から抜け出した新たな素堂像が浮かび上がってくる。

系譜に見る素堂

 

l         歴代滑稽傳 許六著 正徳 五年(1715)

素堂七十四才。 江戸 山素堂は隠士也。江戸三吟の時は信章と

云。幽山八百韵は来雪と云。芭蕉翁桃青と友とし善し。後正風の

体を専とす。

 

l         綾錦 沾凉編 享保十七年(1732)

祖 北村季吟----素堂 山口今日庵。始ハ云信章又来雪トモ云。

享保二申八月十五日卒。齡七十五 住本所 有墳谷中感応寺

 

l         誹諧家譜拾遺集 丈石編 明和八年(1771)

祖 松尾芭蕉----素堂 山口氏稱 今日菴トモ  名信章

號来雪 住東府 享保二丁酉年八月十五日歿。齡七十五。

 

l         連俳睦百韻  寺町百庵著 安永八年(1779)

山口太郎兵衛  信章 来雪    来雨 素仙堂―仙=素堂。

 

l         甲斐国志 松平定能編 文化十一年(1814)(別記)

祖 北村季吟----素道(堂)山口氏。

信章  来雪 字、小晋・公商

 

 

l         蕉門諸生全傳 曰人編 文政中期(1818~30)

甲斐酒折産也 神職ノ人也 葛飾隠士 信章斎来雪

號山素堂 性巧俳句及詩歌而 名品其矣。

享保元年八月十五日歿。法名廣山院秋厳素堂居士   

碑面 本所中ノ郷原町東聖寺松浦ヒゼン守隣ナリ

 

l         俳家大系図 春明編 天保九年(1839)

祖 北村季吟----素堂 山口氏名信章 

字、子達・来雪・復白蓮 享保元年八月十五日谷中感応寺

 

l         葛飾蕉門文脈系図   錦江編 嘉永期(1848~5)   

祖、山口素堂

 

l         葛飾正統系図  錦江編 嘉永三年(1850) 

祖、山口素堂

《註》様々な伝えの中から素堂の事績を覗う事は難しい。特に『甲斐国志』以前と以後ではその記述が大きく異なる。特に山梨県の著書には、素堂の間違った事績(濁川改浚工事)が主になり、以後、多くの俳諧書や辞典などにも誤伝が正伝として、今でも諸書に紹介されている。この著は俳諧について全くの素人である私の勉強の機会と捉えて書していきたい。次に紹介する書は、俳諧関係者もあまり目にする事がない記述を紹介する。






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最終更新日  2020年06月14日 19時29分04秒
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