2295758 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2020年06月18日
XML
カテゴリ:山口素堂資料室

素堂と歌舞伎役者中村七三郎

素堂67才 宝永五年(1708)

『梅の時』 中村七三郎追善集、序文と句

 いきて人をよろかばしふるほど死して人をなかしふることはり、今猶昔におなじ。

世に名だたる中村七三郎、過にし初三日のよるみまかりけるに、辞世とおぼしくて、梅に種を結びて、一句をのこせり。

かつしかの同郷に追悼のこころざしあり。予もまた泣きをうつされて、

  

たきさしやそ架の中よりこぼれ梅

 

 といひてさりぬ。かねてより、其人となかをかがなへみるに、風雅の酒落をしたひ、茶人の閑適をうらやみて、その業はひくきにかくるるものならし。

もろこしの何とかやいひし人山林にいらず、朝廷をかくれがとせり。

我日のもとにも髪をそらす、妻を避けず、翁和尚とよばれて、市中人なみなみにまじはり、隠逸伝にいれるも有りけるをや。

縁に随ひてものずきもまた一様ならず。

  

かくれがの芝居の市に花ちりぬ

    衣 ( ) ( さら ) ( )の日かつしかの隠居 素堂 序

 

中村七三郎の句

  

旅日記湯冷め心地に附け終わる  (『ホ誌雑詠撰集』)

  桜餅下げて出を待つ下手哉

 

【註】中村七三郎(初代)1662(寛文二年)年生まれ~1708(宝永五年)歿。

市川団十郎と二分する歌舞伎役者で、和事の名人。元禄十一年(1698)に京都で演じた「傾城浅間嶽」は百二十日続演された。

  

 

 

中村七三郎、関連記事 『鉢敲』 素堂序・句

素堂71才 正徳二年(1712) 

 

『鉢敲』 億麿・素白編 「蟻道二周忌追善集」

 

 摂州伊丹の住、

蟻道子しきしに五月中の三日に、

世を早うすときくは実か、

其人を見すとういへとも、

茂兵衛そとしりつつあへれ鉢敲といへる句を

耳にとどろきて反面をいる人の如し。

今きけは五文字弥兵衛なるよし。

されとも東部にてひとのよろこひし茂へいにて侍れは、

いまさら改るに忍ひす。

 

 予若かりしころ、難波津にて興行

 

  春日の山の下手代めか

   藤原の又兵衛とそ名乗りけり  梅翁(宗因)

 

と付けられしを人々興に侍りき。

又近きころ、

中村七三(郎)曽我のふることを仕りけるに、

朝比奈も今は落ふれて鳶のものとなりぬ。

名をも八郎兵衛とあらためけるよし申けれは、

見物の諸人興にいりける。

自然と其名の相臆せるにや、

古今集、初の名を融位、紫式部は始は藤式部、

これらは皆後をよろしとす。

又後たりとも、茂へいとこそいはまはほしけれ、

それはさるものにて、

五月十三日竹酔日とかや。

亡友芭蕉が句に、

 

  降らすとも竹うえる日や蓑と笠

 

 この句にすがりて

  

竹植える其日を泣や村しくれ

   

辛卯の年神無月十三日   東部宿  素堂






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2020年06月18日 19時27分56秒
コメント(0) | コメントを書く
[山口素堂資料室] カテゴリの最新記事


PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

山口素堂

山口素堂

カレンダー

楽天カード

お気に入りブログ

9/28(土)メンテナ… 楽天ブログスタッフさん

コメント新着

 三条実美氏の画像について@ Re:古写真 三条実美 中岡慎太郎(04/21) はじめまして。 突然の連絡失礼いたします…
 北巨摩郡に歴史に残されていない幕府拝領領地だった寺跡があるようです@ Re:山梨県郷土史年表 慶応三年(1867)(12/27) 最近旧熱美村の石碑に市誌に残さず石碑を…
 芳賀啓@ Re:芭蕉庵と江戸の町 鈴木理生氏著(12/11) 鈴木理生氏が書いたものは大方読んできま…
 ガーゴイル@ どこのドイツ あけぼの見たし青田原は黒水の青田原であ…
 多田裕計@ Re:柴又帝釈天(09/26) 多田裕計 貝本宣広

フリーページ

ニューストピックス


© Rakuten Group, Inc.
X