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2020年06月18日
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カテゴリ:山口素堂資料室
葛飾派の俳論書

 葛飾派の馬光に伝わる俳諧書には享保十六年(1731)の馬光の門人練水書写による『俳諧大意弁』が有るが、この書が素堂から馬光に伝わったのかは不詳である。この様な俳諧論書は古くは 北村 季吟か芭蕉の伝授された延宝2年(1673)の『俳諧埋木』がよく知られところであるが、このような「奥伝」とか「秘伝」・「秘書」とも呼ばれる理論書は多く有り、芭蕉も門人に伝授したようにみえる。芭蕉没後に起きた蕉門内部論争はよく知られ、嵐雪と深川衆、支考と其角らの論争が有名である。素堂も仲裁に腐心したようで有る。この論争は其角の病死で一旦収まったかにみえた。これが江戸蕉門と田舎蕉門の論争であるが、江戸で勢力の有った其角系の江戸座内部で起きた点取り俳諧に対する芭蕉の復古運動が『五色墨』であり、これを支援した稲津祇空(敬雨)の没年の『四時観』(祇空門系)、百庵が参加した『今八百韻』(嵐雪・沾徳系青峨門系)と続いた。
 その後葛門を芯とする『続五色墨』(嵐雪門と葛門の提携)が成されたわけである。また、安永七年の『三篇五色墨』(野逸編、竹阿序)は葛門の勢力誇示の動きであろうことは云うまでもない。この件については楠本六男先生の「杉風と白兎園系。流派興亡の一例」に詳しいので参照されたい。
 『葛飾正統系図』によれば、著書は多数に及んでいるようであるが、二世素丸の著した書が最も多く、次いで九世其日庵錦江が多い。延享3年(1746)成立の、二世素丸の『乞食袋』では田舎蕉門系の俳風を指向しているとされる。蕉門初世の馬光は其角・嵐雪及び沾徳の周辺に居た人であるから、当然其角・嵐雪への憧憬は深い。宝暦7年(1757)の馬光追善集『ふるぶすま』に入っている「滄浪亭夜話」(栢舟舎千亮筆)には「馬光の俳諧観を継承」する旨の記述がなされ、まだ俳系統の確立には及んでいまかったようである。『葛飾正統系図』の素丸の項に「六十才にして活道耳と言ひ、蕉翁より五老井(森川許六)に伝ふる処の二巻を得て、法といひ式といひ、此外に求るに及ばずと、天明四年(1784)甲辰の春、始めて葛飾蕉門と号し云々」とある。この二書とは、元禄六年(1693)3月中頃に芭蕉より門人の森川許六に伝授されたと言う「俳諧新式極秘伝集・俳諧新々式・大秘伝白砂人集」伝書を写す。(元禄6年3月相伝の奥)と云う伝書であるらしい。この書は一部では「芭蕉と素堂」の伝書とも云う。
 これらの秘伝書は後に竹阿の門人小林一茶が天明7年、竹阿に伝えられた連俳秘書『白砂人集』を手写(奥に小林己橋)とある。また天明八年法眼苔翁から譲られた『俳諧秘伝一紙本定』(奥今日庵内菊明)や寛政5年(1793)には竹阿に伝わる素堂の歌道伝書『仮名口決』を書写したと云う。
 また識者に偽書か後世の仮託書とされる素堂の俳書『松の奥』がある。今日、天理図書館の和露文庫本と山梨県立図書館の甲州文庫本がある。天理本の巻尾は未詳であるが、甲州本は「文政9年(1826)丙戊初秋中院、かつしか正風、桃暁庵蓁阜写」と明記されている。文脈系図によれば、蓁阜は素仙堂の項に「蓁々翁門下の高弟蓁峨…中略…二世蓁仙堂称す。後蓁峨の俳弟蓁阜三世を称す」とあり、文政8年の事で蓁仙堂は素仙堂の間違いではないかと思われるがどうであろうか。蓁々翁とは葛門八世の事で、九世錦江の父。正統系図に文化14年(1817)桃葉庵蓁々と成った人で、文政9年(1826)其日庵を嗣号した。文政7年には甲州の上野原や逸見筋に検見役として出張している。素堂の『松の奥』については寺町百庵が『華葉集』で触れているが、寛政の三大俳家の夏見成美が著した文政2年(1819)刊の『随斎諧話』の中に甲州で閲覧した『松の奥』の記載がある。また『随斎諧話』には素堂に関する他の著述も見える。『松の奥』は夏目成美の門人坎家久蔵が収集整理した『素堂家集』(文化七年/1810)に『松と梅序』が収められている。奥は「元禄三年十二月廿日」で山口信章来雪とある。素堂49才の折の著である。この外にも大野酒竹校訂俳諧文庫『素堂鬼貫集』があり、『松と梅の序』・『松の奥』が収められていてその外題に「此書頗る疑はし。案に素堂の作にあらざらん云々」とある。この『松の奥』については清水茂夫先生の、「山口素堂の研究(八)松の奥について」に詳しく説明されているので参照されたい。余談ではあるが、芭蕉は俳諧書は著さなかったと云われているが『俳諧新式』を書いたとする書もあり、甲斐の高山麋塒に送った「俳諧心得」的なものがある。芭蕉門弟の俳書を整理してみる。





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最終更新日  2020年06月18日 19時39分26秒
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