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山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

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2020年06月18日
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カテゴリ:山口素堂資料室
清水茂夫氏(故)は論文「素堂の俳潜・天和貞享時代」の中で
 
 「時の花とは一時に興を求めるものであり、その時だけの目新しさ新奇さをもった句である。終の花とは永遠にその生命の変わらないも
の、つまり芭蕉の言う鳳雅の誠を責めて作られた句である。後年蕉門において盛んに論ぜられた不易流行論は、既に素堂を通じてこういう形で、最初に提出されたのである。」
 
 いま少し追加すれば、素堂・芭蕉蔓焦とも貞門俳諧に出て談林調に浸り、天和調(漢詩文調)流行の中に在っては漢学者の素堂にとり、得意の分野ではあるがのめり込むことはなく、ただ遊んだだけの事で、続虚栗序にある通りである。これとは反対に芭蕉は談林漢詩文調にどっぷりと浸ってしまった為、その行き詰まりを感じて脱出に苦心していた。天和の初めの頃芭蕉は新式興隆をうたったものの、なお模索をしていた処へ江戸大火事に会い類焼し、誘われて甲斐谷村に流寓して江戸に戻った。しかし門弟の其角の『虚栗集』の序文を書いた時は、まだ方向が定まっていなかったのである。
 今日定説の如く云はれる「旅を家とす」と云う気持ちを持つのは、もっと後のことであろう。芭蕉は現状を脱するには、座して考るより旅に出てとしたのである。
 素堂の「続虚栗序」は其角に対して物であるが芭蕉に向けた文が主で、其角には
 
「お前さんの師匠は芭蕉であるから、序を私に求めるのは筋違いであろう」
 
と、諭している。其角は初め素堂のもとにいたが、芭蕉に付かされたのであろう、その後も其角は素堂に序文をねだっている。
 素堂と芭蕉の句作の傾向は前述の通りで、年代順に追えば判ることだが、初句を発表してから推敲し直し成句にしている数は芭蕉が圧倒的に多い。共に自ら刊行することをせず、色紙等でも作年が記入して有るものも少ない、芭蕉は門入等による選集が多く、これに載集されているから良いが、素堂の場合、門弟は取らなかった事もあるが、興に乗った時の作や頼まれての物が圧倒的に多く、残されている作も他の人の句集に取られたものが主であるから大変に少ない。死後に刊行された「とくとくの句合」『素堂家集』によって見ても少ない。従って芭蕉の研究が多く成されて、素堂は後年まで俳壇のバックボーンとして別格の位置に据えられ、研究の対象外に置かれてしまい、時々篤学の人によって掘り起される始末となったのである。
 例えば与謝蕪村・小林一茶・夏月随斎らがそれである。
素堂の甥の山口黒露、親族と云う越智百庵(寺町氏)は近いのであるから、能弁で有っても良いはずであるが寡黙に近い。三世来雪庵素堂(佐々木氏)も同様、素堂の門流を称する馬場錦江は「白蓮集解」の研究書を著しているが、何れも芭蕉の研究には熱心であった。それだけ素堂が隠士の名に隠れて、芭蕉を後援していたと云うことであろう。
 
 素堂を「林門の一書生」と痛罵した不知庵氏も
 
『蕉門の元勲といふべきは「二十歌仙」(延宝八年)の作者、殊に杉風・ト尺・嵐蘭・螺舎(其角)・治助(嵐雪)の五人と素堂なり』
 
と、無視することは出来なかった。また芭蕉没後の蕉門について
 
『嵐雪と其角は芭蕉の徳量を欠くを以て、同門諸子及び諸国の俳匠を馴伏するを得ず、蕉門は条忽ち統一失ひて、滅後数年ならずして崩壊し「二十五条」を説き「十七条」を論じ「茶話禅」唱え、「山中問答」を称し、「貞享式」を銅破し「旅寝論」を絶叫し、宇陀法師に諤々し、「続五論」饒舌す。--中略----杉風は耄(おいぼれ)し、丈草は隠れ、其角は嘯(うそぶ)き嵐雪は黙し、惟然は狂し、去来は歎じ、素堂は知らざる倣して、伊賀の三十一人衆は聾の如く唖の如し』
 
と、手きびしい。今日の明かされた資料からすると、不知庵氏の記述は一方的であるが、それはそれとして、蕉門の軋轢は芭蕉の生前から有り、芭蕉もかなり持て余していた。それを素堂は一分始終を知っていたらしい。丁度芭蕉の死と機を一にするように、素堂の身辺にも不幸が襲い(妻の死など)、蕉門間の取り纏めをする暇も無いほどで有った。
 選集の出来を巡って其角・嵐雪に攻められた杉風は、深川に退隠して表に出たがらずに、それではと、西の去来に「蕉門建て直し」の期待を託し、素堂はしばしば京都を訪れては口説いていた。去来抄の巻末には「人伝(づて)」の如く記してあるがそうでは無かろう。
 
「今年素堂子、洛の人に伝へて曰く、蕉翁の遺風天下に満て、漸又変ずべき時。いたれり。吾子こころざしを同じうして、我と吟会して一ツの新風を興行せんとなり。去来云、先生の言かたじけなく悦び侍る匂予も兼て此思なきもあらず、幸に先生をうしろだてとし、一つの新風起さば、おそらくは一度天下の俳人驚ろかせん。しかれども、世波老の波日々にうちかさなり、今は風雅に遊ぷべきいとまもなければ、唯御残多おもひ侍のみと申。云々」
 
 『去来抄』は偽書との説もあるが、元禄十五年頃までには成稿されたものと考えられており、また十二・三年ころの著とする説もある。素堂は元禄十一年・十三年・十四年から十五年にかけて上洛している。
 
素覧の「東武太平鑑」(荻野清氏紹介)には、
  「江戸風の鑑とて今世さまざまに品つくり、変りたる風をよろこびて、目にあまる事おびただしければとて、葛飾の素堂大人此由、丈草・去来がもと、そのほか伊貫の衆にはかり、俳諧正風のおもてを興さむとありけれども、去来は手届かず、又丈草は此ほど身すぐれずとて取わず、ただ伊賀の衆中には志をのべてこしたるもありけれど、力なくてやみき云々」(「俳諧二百年史」紹介)
 
荻野氏は
「隠逸にして、人を訪ぬるさへ煩しいとした人物である。かかる彼が、俗に趨いた其角一派の句風に飽き足らず思つてゐた事は背かれるとするも、それ以上、新風興行等の煩瑣なる企画をなさうとは思はれ無い。彼の俳諧観及び其角との関係より見ても此事は疑はしい。云々」(山口素堂の研究上)
 
と、記すが如何であろうか。
 
 元禄十五年は、不知庵氏が主に取り上げている、京の轍士の編集による「花見車」が刊行されている。素堂は宝永元年四月に上洛の旅に登ったが、前年の十二月の元禄大地震のあとの大火で類焼したのであろうか、町奉行所に深川六問堀続きの地に家作願いを出し、七月に許可が出ている。その九月には去来は病死し、素堂は京都で越年して翌二年四月に江戸へ向い、尾張鳴海の知足亭に寄り、江戸に帰った。その九月の去来追善集『誰身の秋』(元察編)に追悼句を寄せている。
「随斎諧話」に去来の死後、支考が向井家を訪れ、秘蔵の「伝書」を買い取ったとの記事があるが、如何であろうか。「去来抄」は安永四年に暁台の編集で刊行されている。尚、去来の父元升は儒医として禁裏に仕えたが、元長崎において「聖堂祭酒」(儒学の校主)を務めていた。恐らく素堂と桐山知幾とを結び付けたのは元升であろう。素堂と芭蕉は親友で在りながら、ある点までは素堂は先輩として芭蕉をリードし、芭蕉は素堂を目標として指導を仰いだ。ある点から芭蕉は素堂をライバルと意識しはじめたが、旅行中にも門弟に手紙で
 
「素堂文章此近き頃のは御座無く候哉、なつかしく候」(元禄三年九月、曾良宛書簡)
 
と、素堂の序文等を求め、句作の方向を探っている。
 兎に角、素堂の資料は数が少ない。これも素堂の生き方であるから致し方ないが、ただその資料は芭蕉の資料の中に埋没しており、つぶさに検証すればその掘り起こしも可能である。芭蕉が元禄四年の「嵯峨日記」中で
 
「長痛隠士の日、客半日の閑を得れば、あるじ半日の閑をうしなふと、素堂この言葉を常にあはれぶ。予も又 うき我をさびしだらせよかんこどり とは、ある寺に独居して言いし句なり云々」
 
と記す。隠士とは名ばかりの素堂にとっては、多忙の日々の閑日を持った時は大事にしたいから、芭蕉であっても事前に手紙で訪問の打ち合わせをしないと会えなかったのである。荻野氏の解くように「折にふれて所懐を述ぶる程度に云々」とするには無理がある。
素堂は自由詩人であり即興詩人である。興が沸かないと作品は作らない。誘われないと俳席にも一座しない。色紙を依頼しても興がないと出来上がりが遅いなどがある。元々寡作で有った素堂は、芭蕉の死後は余計瓢々と過ごすのはもっと後の事であったのである。
 





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最終更新日  2020年06月18日 20時21分35秒
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