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2020年06月19日
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カテゴリ:山口素堂資料室

素堂と黒露

 前にも触れたが黒露は素堂の一族に属する人であるが、これといった資料が見当たらないが、散見する諸書から推察を試みてみることにする。諸書の記載には、「甥」・「姪」『通天橋』の後文では「ふたたび舅氏にあふ…」、『摩訶十五夜』でも「舅氏・亜父」、との記述が在る。これらの用例からすると黒露は、素堂の姉妹の子、素堂の母方の「おじ」いうことになる。なお古文書に記述される血筋、血統での文字の用例は実に厳密である。
 

甥…(そう・おい)をひ、姉妹の子。或いはむこ(娘の夫)。

妻の兄弟姉妹の夫。外孫にもつかう。
 姪…(てつ・をひ)兄弟の生んだ男子。めひ…兄弟の生ん  

だ女子。妻の兄弟の子。
 舅…(をぢ・しゅうと)母の兄弟。
 舅氏…(きふし・をじ)伯父・叔父。
 舅甥…(きふさう)母方の「をぢ」と「をひ」。
 亜父…(あふ)尊敬語。おやじさん。父につぐとの義。
 

以上の用例から推察すると、黒露は素堂の妹の子として生まれたが、事情があって後に素堂の所に元禄の終わり頃に引き取られた。黒露の生年は没年から逆算して貞享3年(1686)である。素堂の親族については別に記してあるが、『甲斐国志』の素道の項に記載されている甲府府中魚町四丁目の山口屋は素堂とは関係が見出すことができない。
『連俳睦百韻』の寺町百庵の序に「雁山の親は友哲、家僕を取り立て山口氏を遣し、山口太郎右衛門、その子雁山なり。後に浅草蔵前米屋云々」とある。家僕とは身分制度の確立していた頃は、「一家をなしていない者」・「独立していない者」などは家僕と記される事もある。素堂親族の寺町百庵や山口黒露は放蕩生活も長く、素堂もその扱いには苦労したようである(この項は別述)





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最終更新日  2020年06月19日 10時58分08秒
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