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2020年06月19日
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教来石氏について「甲斐国志」

(教来石氏と馬場美濃守信房公との関連)(訳)
 長い間歴史の間違いは訂正されること無く伝承されあるいは史実と伝わる場合が多い。白州町の教来石地名と馬場美濃守の教来石民部からの移行は史実からは読み取れない。教来石氏は後に土屋氏を継承している。馬場美濃守は現在の下部町常葉次郎が同町の馬場氏の名跡を継いで馬場伊豆守のあとを継ぎ武田三代に仕えた。

 

したがって馬場美濃は武川衆の一員でもない。これは彼の家臣が現在の南巨摩郡や山梨県の東地域に多いことでも理解できる。白州町でも台ケ原荒尾神社の馬場八幡社など現在全く無視されているが、古文献には明記してある。(別記)

○「甲斐国志」教来石氏の項


「甲陽軍艦」に教来石民部を馬場氏の名跡とする由見えたり。(馬場美濃守のことは人物部に詳しく説明してある。
牌子は自須村(現白州町白須上)自元寺にあり。その他には教来石氏の事見るところ無し。
民部を改め馬場氏となした時に一族みな馬場氏になったと思われる。あるいは馬場は本氏であって教来石氏ではない。最もこうしたことも考えられる。下ノ郷起請文には「六河衆馬場小太郎信盈」花押あり。
「甲陽軍艦伝解」に「膳ノ城」の条下に「馬場右衛門尉」と記してある。「編年集成」慶長6年の記にも「馬場右衛門尉」百石とあり、甲府城番の記には「馬場民部」400石の高なり。「郷村帳」に26198升。台ケ原村13855升。柳沢村の内と見えたり。(一書に馬場駒場に作る、是も西郡筋にある地名とあるが伝写の誤りなるべし)南宮元和四年()の文書に「馬作介」とあるは民部の男なりや。「民部」は即ち「右衛門尉」の男か。
馬場美濃守の男(子供)「民部少輔」とは別人なり。民部の牌子は三吹村万休院にあり。民部の女(妻)は青木与兵衛信安の妻慶長四丑年歿するとあり。

 






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最終更新日  2020年06月19日 16時06分50秒
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