カテゴリ:山梨の歴史資料室
美豆御牧(山城の牧)甲斐の歌ではない
○ みつのみまき(美豆の御牧) まこもかるみつの御牧の駒の足 早く楽しき世をもみる哉 『兼盛集』類従群集。巻第二百五十 兼盛-平氏。生、未詳~没、正暦元年(990) ○ 隔河戀 山城の美豆の里に妹を置ていく たひ淀の船よはふらむ 『頼政卿集』戀 類従群集。巻第二百四十六 頼政-生、長治元年(1104)~没、治承四年(1180) ○ 美豆御牧よみ人しらす 小笠原みつのみまきにあるゝ駒 もとれはそ馴るこらが袖かも 『夫木集』 ○ 美豆御牧 五月雨に里にもみつの河近みほす かりこもや庭の浮草 『和歌名所詞花合』 類従群集。巻第四百二十 ○ 美豆の江のまこもゝ今は生ぬれはたなれの駒を放ちてそみる 『堀川院御時百首和歌』春類集群従。巻第 ○ かりてほす美豆の御牧の夏草は しけりにけりな駒もすさめす 『内裏名所百首』 夏 ○ かりこもの五月の雲に成にけり 美豆の御牧の夕暮の空 ○ 渡する遠方人の袖かとよ 美豆のにしるき夕かほのはな ○ まこも草末こすまてに日数ふる みつの御牧のさみたれのころ ○ よみ人不知 徒に美豆の御牧のまこも草からて浪こす五月雨の比 『菊葉和歌集』類集群従。巻第三百七十二 【成立-応永七年(1400)頃?】 ○ 美豆御牧 刈とほすみつのみまきの夏草は 茂りにけり駒もすさめす 『順徳院御集』類集群従。巻第四百二十四 順徳天皇-生、建久八年(1197)~没、仁治三年(1242) ○ 名所百首 前右大臣 五月雨に駒もすさめすまこも草美豆の御牧の浪にくちぬる 『菊葉和歌集』類集群従。巻第三百七十二 【成立-応永七年(1400)頃?】 ○ 春駒 満祐 のとかなるよとの川波春見えて みつのみまきに駒そいはゆる ○ 西の国の方へ修業にまかりけるに、美豆野と云ふ所にて 伴ひなれたる同行の侍りけるが、したしきものゝ例ならぬ事 侍るとてとゞまりければよめる 山城のみづのみくさに繋がれて 駒物憂げに見ゆる旅かな 『頓證寺法楽百首』応永二十一年(1414) ○ 大和守輔尹 比ぶべき駒も菖蒲の草も皆 みつの御牧にひけるなりけり 『栄花物語』 ○ 順徳院位の御時、名所の百首の歌召されけるに、 美豆御牧 皇太后宮大夫俊成女 船とむるみづのみ牧のまこも草 からで假寝の枕にぞしく 『玉葉和歌集』巻八 旅歌 【成立-為兼撰。正和元年(1312)】 ○ 基俊 なつくともいかゝとるへき草わかみ みつのみ牧にあるゝ春駒 『堀河百首』 ○ 名所百首歌奉ける時 従二位家隆 春ぞ見しみつの御牧にあれしこま 有もやすらん草かくれつゝ 『新後拾遺和歌集』 【成立-嘉元二年(1304)奉覧】撰-二条為遠・ ○ 橘能元 日をへつゝみつの野沢のまこも草 あをめは春の駒そいはゆる 『天仁二年十月顕季卿家歌合』 ○ 屏風の繪に霧たちわたりたるところに 馬はなれたるかたかけるところを とりつなけみつのゝ原の放駒 よとの川霧秋はゝれせし 藤原長能 『金葉和歌集』第三 【成立-天治元年(1124)奉覧】 ○ 美豆御牧 藤原定歌 わたりする遠方びとの袖かとや みづ野にしろき夕がほのはな 『拾遺愚草』「詠百首和歌」 定家-生、応保二年(1162)~没、仁治二年(1241) ○ 五月雨 相模 五月雨は美豆の御牧の真菰草 刈りほす暇もあらじとぞ思ふ 『賀陽院水閣歌合』【左大臣頼通、長元八年(1035)】 参考 ○ 堀河院の百首の歌に、同じ心を大納言師頼 蛙なく美豆の小川の水清み そこにぞうつるきしの山ぶき 『続後拾遺和歌集』巻二 春歌下 【成立-正中二年(1325)奉覧】 二条為藤・為定撰 ○ 題志らす 後鳥羽院御製 春雨に濡れつゝ折らむ蛙鳴く みづの小川のやまぶきの花 『続後拾遺和歌集』巻二 春歌下 注…《美豆(みつ)の御牧》は山城の牧) 《甲斐国志以来、甲斐の歌として取り上げている書が多く、あるが美豆の御牧は山城の牧》 注…『甲斐国志』は小笠原牧を、「美豆ノ牧とは穂坂、小笠原、逸見三所を指して云なるべし」としている。 注…『甲斐国志』には「按ずるに穂坂の庄に三ツ澤村あり。 又小笠原(現明野村)の方へ通づる路を三ツ沢通りと呼ぶ斥之か」とある。 『甲斐国志』巻四十七 古蹟部第十 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年06月20日 20時20分55秒
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