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2020年06月21日
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カテゴリ:山梨の歴史資料室

一、名醫徳本の奇事   閑憲瑣談後編(佐々木高貞) 

 

江戸時代の甲斐の伝説と民話 『日本随筆』より抜粋

 

に名高き甲斐の徳本は、和漢古今に珍らしき恬澹の人なり。

本性は長田氏、知足斎と号し、三河州大浜村の人、

其先祖を知る者なく、不詳所出 。

勢利を欽ずして、四方に周遊し、

去就任意いさゝかも諛なし。 大

永享禄の頃(1521~1532)は甲斐の州に遊び、

醫道を以て武田信虎の家に為客。

抑々徳本翁の醫術は、即効を専らとし、

其療治いさゝか烈しきに似たり。

然ば病に依って峻剤毒薬機宣不誤、

撃瞑眩不避世諠 、

(これは病気の様體によっては、峻しき薬を用ひ、毒を服せ、病を強く攻撃、瞑眩てもかまわず、世の人々が諠しくいっても不避、存分に療治する事なり)

富貴なる輩は、俗諺の如く古方家と忌恐れて信ぜず。

却って山野僕質の民に尊信せられ、殊に貧しきを憐みて、

療養を信切にし、居所の悪敷きを厭わず。

天文年中(1532~1555)には甲州を去りて、

信濃国諏訪郡東掘村に住し、

天正の乱に武田氏亡て後、再び甲州に還り、

自ら草廬を構、號て茅庵といふ。

他に出る時、頸に薬袋を掲て、牛の背に跨り、

彼薬入の表に一服十八銭と書付たり。

富貴を顧みず、貧賤を嫌わず、

偶々権家の招きに応じて、病を治し効ありても、

薬の價を取事十八銭に過ぎず。

盖世の中の醫の勢利に赴き、慾に務むる者を折く。

於此翁の清情なる事、

十方に聽へ、漸々に諸州の領主に召るゝ事すくなからず。

其頃或諸侯何某の君病痾ましましけるが、

其臣下兼て徳本の良醫なる事を知らるれば、

則徳本翁の診治を伝達し奉らる。因って命じて翁を召さる。

徳本翁此時に百十有餘才、

例の如く頸に袋を掛、牛に踞、ゆふゆふと東都に到る。

厳々廣々として尊むべき錦殿に、麁服を不レ耻登り、

一診を許されて後、便峻き劑欲上衆醫其麁忽を論じて不背、

時に徳本翁は少しも憚らず、衆醫に対して其可否も辨ず。 

其君又戦国を経玉ひし勇壮の仁君、

聴明にして疑念ましますれば、

決断速かに翁の良醫なる事を信じ玉ひ、

薬を調進なさしめられ、御服薬数日ならずして、

功を奏し、御全快ましましければ、賞を賜ふ事尤も厚し。

されども徳本翁は、固く辞し奉り之を不受、

帰るに及んで薬の價一服十八銭の定めを以て

政府に乞請瓢然として立去ぬ。

於是翁の聲名天下に高く、

是を慕ふて門人となる者数十人、

其中にしも馬場徳寛、今井徳山の二人、

殊更に醫業を励み、翁の禁方を受たりとぞ。

猶翁の醫療に付て、古今希代の妙説あり。

ことごとく次編に記す。 

徳本傳の再記には、

於竹大日如来の因縁等、希代の話ありて面白し。 






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最終更新日  2020年06月21日 21時39分06秒
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