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2020年06月21日
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カテゴリ:山梨の歴史資料室

甲斐国都留郡の縫之丞のこと  閑田次集(伴 蒿蹊) 

 

享和二年(1802)十二月の末つかた、

甲斐国都留郡小明見村の民縫之丞なるもの、

其隣人の黄疸に悩みけるを、両親ふかく悲しみ、

又代るべき兄弟もなければ、

いかにもして病を癒しめんとおもふに、

蜆は此病の良薬ときけば、

もとめて給はれとたのまれて、

三十里を経て、駿河の原よし原まで来るしに、

年の終りなれば、さしもの街道も往来まれなるに、

さるべき武士共二三人計具したるが、遙先に見えたれば、

追付んと急ぎ、尿しながら行けるを、

彼士見咎て、いかなる者ぞととふ、

農民なりしとこたへしに、

いか農民ならば大路に尿すべからず、

畑ならば麦を養ふべし。

道の傍ならば草肥えて秣によからん、

大路にて穢を人に及ぼすべしやといはれて恥入、

唯大人に追付まゐらんといしぎての仕業なりと侘ぬ。

さて背に負けたる薦包は何ぞととふに、

しかじかのよしを答へて、此比海荒て、

やうやう此ほとりまで一升を得て負たるなりといへば、

さる病に一升ばかりにては足じ、

江戸に行て求むべし。

いざつれ行んといへれば、故郷よりここ迄遙なり。

また是より江戸まで、四十里をへてはいかゞはせん、

年せまりて帰ることを急よしいふ。

さらばわれ江戸に帰らば、速におうるべしと、

其郷里荘官の名まで委しくとひきく、

こはいかなる御方ぞととへば、

それはいふに及ばずとて、沼津駅にて別ぬ。 

其年は暮てあくる正月、

病者は病おもりて十日に終りぬれば、

野辺に送り、翌日僧に請じ齋行ひける折から、

所の長のもとへ薦に包たるもの、江戸芝よりと計記して、

甲斐国都留郡小明見村庄屋仁兵衛といふ札をさし、

谷村といふ所の官所より送り、

其便は谷村より小明見までの賃をとりて帰りぬ。 

開きて見れば 蜆なり一首の歌有り、   

見もしらぬ山のおくへも心だに   

とどかば病癒ぬべらなり 

仁兵衛其故をしらず、親に付て縫之丞を呼て、そのよしを聞きゝ感に堪ず。

彼齋の所へ持行、士の志を牌前へ供しぬ。

夫より皆志をたうとがりて、江戸芝といふたよりに、

尋けれどもそれぬば、せんかたなきに、

あるもの此士歌を添られしかば、

何にても歌を勧進して、芝明神の社に捧げ、

せめて其志しに報ぜんとはかりけるとぞ。






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最終更新日  2020年06月21日 21時56分02秒
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