カテゴリ:山梨の歴史資料室
甲州祐成寺の来由 新著聞集(著者不詳)
ある旅僧、独一の境界にて、複子を肩にかけ、 相州箱根山をこしけるに、 日景、いまだ午の刻にならんとおぼしまに、 俄に日くれ黒暗となり、 目指もしらぬ程にて、一足もひかれざりしかば、 あやしくおもひながら、是非なくて、 とある木陰の石上に坐し、 心こらして佛名を唱ながら、峠の方をみやるに 究竟の壯夫、太刀をはき手づからの馬のくつ草鞋をちり、 松明ふり立て、一文字に馳くだる。 跡につゞき若き女おくれまじとまかれり。 あやしく守り居るに、壯夫のいはく、 法師は甲斐国にゆくたまふな。 われ、信玄に傳言すべし。通じたまはれ。 某は曽我祐成にてありし。 これなるは妻の虎、信玄は我弟の時宗なり。 かれは、若年より此山にあって、佛經をよみ、 佛名を唱るの功おぼろげにあらずして、 今名将なり。 あまたの人に崇敬せられ、又佛道にたよりて、 いみじきあり様にておはせし。 は愛着の纏縛にひかされ、今に黄泉にたゞよひ、 三途のちまた出やらで、 ある時は修羅鬪諍の苦患いふばかりなり。 願くば我為に、精舎一宇造営して、 菩提の手向たまはれよと、 いとけだかく聞えしかば、僧のいはく、 安き御事に侍ひしかど、證據なくては、 承引いかゞあらんとありければ、 是尤の事也とて、目貫片しをはづし、 これを持参したまへと、いひもあへぬに、 晴天に白日かゝり、人馬きへうせてけり。 僧思ひきはめて、 甲陽に越て、それぞれの便をえて、 信玄へかくと申入れしかば、 件の目貫見たまふて、不審き事かなとて、 秘蔵の腰物をめされ見たまへば、 片方の目貫にて有しかば、是奇特の事とて、 僧に褒美たまはり、頓て一宇をいとなみ、 祐成寺と號したり。 しかしより星霜良古て、破壊におよびしかば、 元禄十一年に、共住持、しかじかの縁起いひ連ね、 武江へ再興の願たてし事、 松平摂津守殿きこしめされ、 武田越前守殿へ、其事、いかゞやと尋たまひしかば、 その目貫こそ、只今某が腰の物にものせしと、 みせたまふに、金の蟠龍にてありし。
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最終更新日
2020年06月22日 11時40分28秒
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