カテゴリ:山口素堂資料室
素堂、母の死期日 元禄八年夏 荻野清氏著 山口素堂の研究 上 国語・国文学 昭和七年一月号
元禄三年、素堂は母を失ひ(註二参照)、天涯孤独の身となったのであった。(要は既に早く寛文の頃世を去ったらしい)彼が母に仕へて至孝であった事は、諸書の傳へる所であり、彼が後妻を迎へなかった事も、一は母の意にたがはん事を恐れたためであったらしい。母の死に際して、彼が痛惜したのは、もとよりの事であったらうが、それも一面より見れば、彼の閑居を更に徹せしめる事になったと思はれる。 彼は『甲山記行』に見ゆる如く、元禄八年甲府に帰ってゐるが、その翌年、再び甲斐に至って、濁河の治水に力を盡した。此事は、彼の實際的才能の一面を窺い得る事で興味ある事ながら、今縷述を避け、ここにはたゞ、此治水が元禄九年三月二十八日に起工され、五月十六日に竣工を見たといふ『山梨県水害史』の談を擧ぐるに止めて置く。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年08月10日 16時13分02秒
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