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2020年08月12日
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カテゴリ:山梨の歴史資料室

◎推古6年(598)4月【扶桑略記】

 

…聖徳太子が良馬を求めて、甲斐烏駒を得る。

…太子命左右、求善馬竝符諸国令貢、甲斐国貢一烏駒数百匹太子指此馬曰是神馬也、

令舎人調使麿飼養云々

 

◎推古6年(598)9月

 

【一代要記】

…太子試験馭甲斐烏駒浮雲東去。云々。烏駒は足は四本白であった。

 

【見聞集】

…此馬は甲斐の穂坂産。

 

【節用集(零写本)】

…烏駒(クロゴマ)聖徳太子の御馬也。甲斐国より出。

【塵袋】                                                                                         

…黒駒と云ふは聖徳太子の御馬甲斐の黒駒の外はなき歟、黒き馬をは黒駒と云はむか、なき歟如何。名物に混乱すれは、くろきこまなれと、くろこまとは云はす。但しかひのくろこまと云ふ事は太子の御馬ならねとも、昔もありけり。雄略天皇の御宇十三年秋九月猪名部、云々(参考-日本書紀、雄略十三年の項)

 

【今昔物語集】

…亦、太子、甲斐の国より奉れるき小馬の四の足白き有り、其れに乗て、空に昇て雲に入て東を指て去給ぬ。〔調〕使丸と云ふ者、御馬の右に副て同く昇ぬ。諸の人、是を見て、空を仰て見てののしる事尤限し太子、信濃の国に至給て、神輿の境を廻て三日を経て還給へり。

 

【三宝絵詞】

…聖徳太子とその妃は、同日死去した。その日、太子の黒駒は草水を口にせず、太子の墓まで行って一度いななき、倒れ死んだ。また、太子がかって衡山より持って来た経も、その日消え失せた。

 

【源氏物語】

…さるべき都の苞など、由あるさまにてあり。主人の君、かくかたじけなき御送りにとて、黒駒たてまつりたまふ。

《筆註》

…奈良県生駒郡斑鳩町東福寺には聖徳太子の愛馬「甲斐の黒駒」の駒塚古墳があり、飛鳥の橘寺には黒駒の像がある。






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最終更新日  2020年08月12日 07時28分50秒
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