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山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

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2020年08月13日
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カテゴリ:山口素堂資料室

素堂が白州出身では無い事の証明

これを証明すると、白州で俳人として活動しながらも、素堂の事に一切触れていないことである。

 これは山梨県の俳人全てに云えることで、芭蕉を崇めても、素堂のことには全く触れていない。

これは甲斐国志一書の記載事項が甲斐・山梨の俳人たちに史実として捉えられていないからで、郷土の俳人にも、素堂が郷土の俳人として扱われていない証左ともいえる。

甲州台ケ原宿と教来石宿が生んだ俳人

 北原台眠・塚原圃秋・河西素柳

  臺眠は現在の白州町の台ケ原集落(合併により北杜市白州町台ケ原となる)の生んだ俳 人であり、当時の著名俳人とも交流が深く、それは伝えられる以上のものがある。北原家は江戸時代の寛延二年(1749)頃、信濃の高遠から移住して造酒屋を営んだのにはじ まり、(「家譜」/村役人連署「差上申済御証文之事」)現在山梨名醸として現在に至っている。

 家の作りも抜きん出ていて、切妻中二階式の大型町屋で山梨県教育委員会の発行している『山梨県の民家』に詳しく報告されている。幕末には信濃諏訪高島藩の御用商人となり、窮乏する高島藩の為に千六百二十五両を用立てた証文を蔵して居られる。 

 

また長野県の『富士見町誌』には産米を北原伊兵衛宅に納めた記録が残っている。

  天保十二年の家の古図によれば醤油の醸造、明治には北原銀行も開設している。また中の間と書院境の彫刻欄間の主題は「竹林七賢」で立川流の名工立川富種の作で諏訪高島藩 主より贈られたと伝えられている。

先の『山梨県の民家』では、「全国的に見ても第一級の幕末大型町屋といってよい」と絶賛している。

また山梨名醸の造酒「七賢」は山梨県を代表する銘柄であり、蔵出しを始め多くの愛好者が訪れていて、休息や食事もできる「台眠」も人気がある。今回はこの「臺眠」についての調査報告である。

一方の塚原圃秋については断片的な資料しかなく、いずれ本格的に調査を開始するつもりである。今回はこれまでの少ない調査資料から提示する。






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最終更新日  2020年08月13日 09時21分17秒
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