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2020年08月13日
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にひなふ鳥 北原臺珉編

 

臺珉は山梨県北巨摩郡白州町台ケ原の俳人。本名北原市之亟光久。

  諏訪図書館 『長野俳人大辞典』「出典資料一覧」

 にひなふ鳥 北原臺珉編。寛政十一年刊。半紙本。可都里序。跋なし。

京、勝田喜右衛門板。

 

 臺珉は山梨県北巨摩郡白州町台ケ原の俳人。本名北原市之亟光久。

 

 『甲州文庫史料』八巻に翻刻。

 

この記述は辞典記事収集の中で山梨県関係の協力者の調べ上げたもので、辞典編集時の調査であり、山梨県の人の資料提供ではないかと思われる。

なお、臺民の初入集俳書『春秋稿五編』を編んだ加舎白雄は、安永四年(1775)に甲州に来ている。その折『甲峡紀行』を著している。

四年の冬に江戸を出て白根山の麓で五年の春を迎え、その後「塩の山」「差し出の磯」「武田氏旧跡」「坂折宮」「石和川」 「善光寺」「身延山」を歴訪し甲州道中を経て信州に出る。

その際に交流のある大月初狩の俳人たちの芭蕉塚の建立に参加している。この芭蕉塚は明治四十年の山津波で流失し、大正末年に下流の川畔の畑の中で発掘された。山津波で流失した芭蕉塚の在った付近には山本周五郎(当時四歳)が住んでいた。

この折、台ケ原も通過しているが臺民との接触は伝わらないが、その十年後の『春秋稿五編』に臺民の句が入集している。その前後に可都里とも接触、各地域の俳人たちと接触するようになる。

 






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最終更新日  2020年08月13日 09時29分19秒
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