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甲斐の字義 南嶺遺稿 巻の三
かひがねといふは、山のするどく立て、 諧山に勝れ目立たるみねをいふ。 山のかひより早ゆる白雲などよむも、 絶頂にあるしら雲なり。 甲州はするどく高き山多き故、 かひの國といへりとぞ。 ある人の仰せられしにつきて、よく思へば、 俗語に甲斐々々しく敷くといふ詞有。 また、かひなきといふ詞有。 甲斐々々しきは、しかと其功の見えたるを、 山の高く見えたるになぞらへ、 甲斐なきは功もなきといふ心なるべし。
植松宗南といへるは、甲斐産の人にて、 此人の話に、 甲斐の國は、諧國に勝れて木の実のよき圀なりといふ。 斐の宇、このみとよます字也。 それ故、斐にかうたりといふ心にて、 甲斐の國となづく。
甲たるは第一たるの心なりとぞ。 むかし斐仲太といふものありし事、 宇治拾遺に見えたりとおぼえし也。
斐たる君子ありと、詩経にあるも、其賓有る君子也。 諭語に、斐然成章(ひぜんとしてなすしょうを)をも、 その實を備へて、しかと文章を成たりと心得べし。 山のかひといふも、此心得にてよむべきか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年08月13日 13時54分20秒
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